機動戦士ガンダムAGE 第24話「Xラウンダー」
▼あらすじ
謹慎を解かれたアセムは、ソロンシティの町中へ気分転換に出かけていくが、そこにゼハートが現れる。
戦いをやめるよう説得するゼハートと、それは出来ないと拒絶するアセム。そしてゼハートは、アセムに銃を向ける。しかしロマリーがその場に現れた事で事態が錯綜、結局ゼハートはゼイドラでソロンシティを脱出する。
追撃するウルフ隊は、逆にマジシャンズエイトの登場で窮地に立たされるが、そこに現れたのはAGE1に乗ったフリットだった。しかし、ゼハートは一騎討ちの戦いで、フリットを圧倒して見せる。
追い込まれたディーヴァMS隊を救ったのは、AGE2の新ウェア「ダブルバレット」だった。これによりアセムはマジシャンズエイトのうち2機を撃墜するのだった。
▼見どころ
▽アセム、ゼハート、ロマリー
この回の前半のメインは、この三人をめぐるやり取りという事になります。
相変わらずギチギチに余裕のないシナリオ進行であるにも関わらず、この三人がそれぞれどういう思惑で、このようなセリフを言うに至ったのか、という事をちゃんと追う事ができるようになっており、この辺りがAGEの鑑賞しどころなのだと思います。
まずは交わされたセリフをざっと追ってみましょう。
「わたしは、戦いに生きるべき宿命を背負っている。しかし、お前は違う。戦わない道を選択できる」
「はぁっ!? それを選んだら、俺はどうなるって言うんだ!」
「お前は、お前のままでいられる」
「俺が、俺のままで?」
「ああ、優しい、わたしが好きだった友達のアセムのまま」
「そんなの、無理だ」
「なぜ」
「俺には、何もないんだよ……! 戦って、戦って結果を出さなきゃ、誰も俺を認めてくれないんだ! 俺はお前がうらやましい、力を持ったお前が……!」
「お前が戦場にいたら、わたしがわたしでいられなくなる! 目的の妨げになる!」
「わたしは、ヴェイガンだ…!」
ここでロマリーが乱入。
「やめてぇっ!」
「ロマリー!?」
「ゼハート、どうして?」
「ゼハート、わたし、ずっと、ずっと会いたかった!」
ここで、アセムがゼハートから銃を奪い取り、構えます。
「動くなよゼハート! ロマリー! ディーヴァに知らせるんだ。ヴェイガンの兵士を捕らえたと」
「アセム……」
「もう戻れないんだ……!」
これを見て、ロマリーがゼハートをかばう動きを見せます。
「アセムお願い、銃を下ろして……!」
「何だよ、それ!? なんでそんな事するんだよ……!?」
アセムが動揺した隙をつき、ロマリーを突き飛ばして逃れるゼハート。
そんなわけで、この後ゼハート機の追撃戦になるわけなのですが。
このシーン自体のオマージュ元は、やはり0083の
このシーンなのだと思います。
もちろん、ロマリーは拳銃ぶっ放したりしませんが(笑)。AGEは過去のガンダム作品から場面や要素の引用・オマージュをさかんに行いますが、ストーリー上での意味は変えて使用している場合が多いので、元ネタのイメージをAGEに持ち込むのには慎重になる必要があります。……と釘をさしておきませんと、ロマリーと某アナハイム・エレクトロニクスのエンジニアさんをあまり一緒に考えられてしまうと、この後のAGEストーリー解釈に支障をきたしますので一応(笑)。
さて、多少クドい解説にはなりますが、このシーンにおける三人の行動について、ここまでの経緯を振り返りながら整理してみます。丁寧に見ている人にとっては、今さらな話ではあるかと思いますが、念のためです。
☆ゼハート視点
ゼハートにとって、アセム・アスノとの学園での日々は、得難いものでした。
火星圏での過酷な日々を過ごしてきたゼハートには、MSクラブで過ごした時間は、任務を忘れるほどに魅力的なものであって、またそのような環境でこそ育まれただろうアセムの「優しさ」もまた、大事なものだったのだと思われます。
アセムは、ゼハートの目には恐らく、戦う必要がないくらいに恵まれていて、満たされているように見えているのです。別に戦わなくても、普通に人間的に生活できるだけの環境をアセム・アスノは既に獲得していると、ヴェイガン出身のゼハートには見えているでしょう。
だからこそ。軍に所属し、(ゼハートの目からは)差し迫った戦う理由もないのに戦場に出て来て、その結果学園時代に見せていた優しさを失いかけているアセムの行動が理解できないのでした。
ゼハートの、「戦わない道を選択できる」「お前はお前のままでいられる」という説得は、そうした認識に基づいています。
一方で。ゼハートには、アセムに戦場を去ってもらいたい差し迫った理由がありました。第20話の、
このシーンに端的に表現されている事情です。
後に、MS戦でアセムは「俺だってお前を撃てる!」と発言していますが、これはアセム側に思い違いがあります。ゼハートは、決定的な場面で、アセムを撃つ事ができません。
第20話「赤いモビルスーツ」の記事で書いた通り、あの回でゼハート率いるヴェイガンのMS隊は「ガンダムAGE2の鹵獲もしくは破壊」を目的に作戦行動をとっており、そのためにヴェイガン側の部隊には損害(犠牲)も出ています。結果ゼハートはAGE2を追いこんで破壊可能な状態に持ち込んだのですが、ここでアセムを「撃つ/討つ」事が出来ずに、忠告だけ残して離脱してしまっています。
デシル以外に表立って指摘する者はいませんが、これはゼハートの汚点です。何より、ゼハート自身にとって耐えがたい事でしょう。この第24話で、部下であるマジシャンズエイトを
身を挺してかばったりもしているゼハートです。
彼が部下の損耗を気にかける指揮官である事については、後にも何度か描写があります。そんなゼハートにとって、戦死者を出しながら、自分の私情でみすみす任務遂行を怠った事は、耐え難いはずです。
「お前が戦場にいたら、わたしがわたしでいられなくなる!」というセリフに、そうした心情が凝縮されているわけでした。
こうした板挟みに決着をつけるために、ゼハートはわざわざ危険を冒してアセムの前に姿を現したと見られます。
では、ゼハートの説得はなぜ失敗したのかというと。
☆アセム視点
ゼハートの境遇からはおそらく理解しがたい事と思われますが、アセムもそう簡単に戦場から離れるというわけにはいきません。
その理由を問われたアセムは上述の通り、「俺には何もない」「戦って結果を出さなきゃ、誰も俺を認めてくれない」と発言しています。そう、アセムは自己実現、自身のアイデンティティ確立のために戦っているのでした。
ゼハートのように、過酷な環境に耐えかねて、大義名分を持って戦っている人物にとっては、たかが個人的な自己実現のために戦っているというのは、エゴイスティックに見えます。しかし、豊かな、満たされた、何不自由ない境遇には、そういう境遇なりの困難や苦悩があります。それもまた、まぎれもなく「アセムの世代」、80年代から90年代の日本ではっきりしてきた事でした。「飽食の時代」「大量消費の時代」は、「自分探し」なんて事が流行するような、アイデンティティが激しく揺らいだ時代でもあったのです。
このような事態は、「フリットの世代」までは起こりにくいことでした。
たとえば、初代ガンダムのアムロのように。目の前に直接的危機が迫ってきて、戦わなければ否応なく死んでしまうような状態では、確かに選択の余地なく戦場に投げ込まれてしまうという意味では不幸ではあるのですが、しかしともあれ、「戦う理由」「自分の存在価値」なんて事で悩む必要はありません。そんな事を考えている余裕はありませんし、戦う理由なんて目の前に厳然と存在しています。
ところが。これが平和な時代だったらどうでしょう。戦域や危機が局所的にしか起こっておらず、それ以外は平和に過ごせる時代だったら。戦わずに済まそうと思えば、そのように生きられる時代において、それでも戦う人というのは、皆それなりに「戦う理由」を用意しなければならなくなります。その中で、「自分の存在価値」を示さなければならなくなります。恐らく、これはこれで非常に厄介な事なのだろうと思うのですね。
歴代ガンダムでは、Zのカミーユと、ZZのジュドーがそのような状況に置かれていました。テレビ版Zの第一話〜第二話において、カミーユはガンダムMkII 墜落の騒ぎに乗じて一時ティターンズの拘束から逃れており、そのまま隠れて遣り過ごしでもしていれば、恐らくはMSパイロットにもならず、命の危険にも特に晒されないでいられたのではないかと思います。しかし、自分を責めたてたMPへの復讐からガンダムに乗り込み、なし崩しでエゥーゴに参加、戦う羽目に陥ってしまいました。
そこで、カミーユは「戦う理由」を、主にクワトロの口から語られる、エゥーゴの理想、ニュータイプ主義とでも言うべきものによって充てようとするのですが。しかし、「本当に排除しなければならないのは、地球の重力に魂を引かれた人間達だ!」と叫んで戦った結果、精神崩壊してしまいます。(余談ですが、テレビ版カミーユが精神崩壊をして、映画版のカミーユが生還した、その一番の違いはこの「戦う理由」をイデオロギーに置いたか、そうでないかの違いだったんじゃないかと私は思っています。詳しくはこちら)
一方のジュドーは、「妹を良い学校にやる」ため、またリィナがネオジオンにさらわれてからはその救出のためという、非常に個人的な理由で戦いに参加していきます。しかし、ダカールにてそのリィナが行方不明となる(劇中では一時死亡したと認識される)事によって戦う目的が揺らぎ、それからしばらくジュドーは戦闘面で不安定な様子を見せる事になります。
アナベル・ガトーのように確信犯(本来の意味の方ですよ)になれたら、それはそれで楽なのかも知れませんが。しかし、確信犯というのはなろうと思ってなれるものではない、というのは、80年代〜90年代ガンダムが残した偉大な教訓です(笑)。カミーユもそうですし、「それでも僕は連邦の士官だ!」というのを戦いの理由にしようとしながら、ニナ・パープルトンに裏切られてズタボロになったコウ・ウラキもそうした教訓を実演してくれていますw
――そう。アセム・アスノだって同じなのです。
前回の記事で詳しく述べたように、アセムは「ヴェイガンを倒してみんなを守る」事を戦いの理由にしようとしてきました。恐らくは、父親が掲げる「戦う理由」を受け継ごうとしたのでしょう。ところが、父親であり上官であるフリットの判断が、アセムにとって納得いかなくないものだったという、それだけで彼は戦えなくなってしまいます。
父親にあこがれ、自ら軍に志願して戦場に立った以上、「戦う」事自体がアセムのアイデンティティであり、これはそう簡単に身を引くわけにはいきません。そういう意味では、ゼハートの提案はハナから論外です。むしろゼハートの説得はまったく逆で、アセムは「自分が自分であるために」戦うしかない。
しかし、「なぜ戦うのか」という理由の部分は、空疎なままなのです。「俺には、何もないんだよ!」というセリフは、彼のそうした苦渋とも読めます。
ちなみに、前回、そんなアセムがかろうじて戦う理由にできたロマリーへの「今は君を守るよ」ですが、今回の彼女のゼハートへのセリフと行動で、一気に破砕されました。
そりゃあ戦闘後、
ここで、アセムがロマリーの行動に激昂するのは、単なる三角関係的な、恋のさや当てだけが理由ではありません。皮肉な話ですが、「ゼハートがヴェイガンだから」、です。もはやロマリーをヴェイガンから守る以外に自身の戦う理由が見いだせないのに、そのロマリーが「ヴェイガンの兵士」と仲が良かったら、もう本当にアセムのアイデンティティ、内実の何もかもがご破算になってしまうのでした。
この点についても、きちんと整理しておく必要があります。
アセムは、確かにフリットに比べれば、ヴェイガンに対して強硬派ではありません。ゼハートという具体的な存在を知っているからです。しかし、(前回の記事のコメント欄でも指摘がありましたが)ヴェイガンを討つ事については、特に躊躇していません。
第18話、卒業式でゼハートにスパイの嫌疑がかかった際、アセムは彼をかばうのですが、今回の回想シーンでも流れているように、その時にアセムが口にしたセリフは「待ってください! ヴェイガンなわけないでしょう!」でした。つまり、ヴェイガンであるゼハートをそれでも庇う、という発言ではありません。
おそらくフリットの影響もあるのだろうと思いますが、アセムには「ヴェイガンが敵」という認識は特に揺らいでいないようです。フリットが牛耳る連邦軍内において「認めて」もらうとするなら、ヴェイガンを敵として積極的に討つしかありません。そうであるが故に、ゼハートがヴェイガンである事を知ってからは、むしろゼハートを撃つという決心をどうにか固めようと必死になっているのでした。それくらい、アセムの「アイデンティティの危機」は彼にとって重いので、「ゼハートと戦いたくなければガンダム下りればいいじゃん」というわけにはいかないようです。
……というわけで、とことん猖獗を極めてこんな表情になっちゃってるアセムさんです。
しかし、上記のようにアセムの状態を眺めてくると、逆に際立ってくるものがあります。
ロマリー・ストーンの動向です。
☆ロマリー視点
一見したところ、ロマリーのこの回の行動は、アセムをますます追い詰めるような、わりと酷いものに思えます。状況が見えないまま、感情的に動いているだけのように見えます。
何はともあれ、前回のアセムのなけなしの決意「今は君を守るよ」は、ロマリーの行動で事実上フイになってしまったわけでした。
しかし。ロマリーは別にアセムの事をむげに扱ったり、邪険に接したりしているわけではありません。前回、ディーヴァを飛び出したアセムを追いかけたりもしていますし。
また、独房の中に忍び込んでくるアリーサの行動力に霞んでしまっていますが、ソロンシティの街に出たアセムを追ってきたのは、彼女なりのアセムへの心配のためとも受け取れます。まさかゼハートが出現する事が予測できていたとも思えませんので。
では、アセムとロマリーの間がこんなにすれ違ったのは何故か、と考えていくと、意外な事に気づきます。
ロマリーは、ゼハートがヴェイガンに所属している、と明かされる場面には大抵立ち会っていますし、ディーヴァのオペレーターとしてアセムとゼハートが戦闘しているところも(たとえば第22話「ビッグリング絶対防衛線」あたりで)ある程度知っているはずです。そうであるにも関わらず……ロマリーは、ゼハートが「ヴェイガン=敵」であるとする判断を、徹底して拒絶しているように見えます。
実は。ロマリー・ストーンは、アセム編の中で最も「所属する勢力によって相手を判断する」考え方に異を唱えた人だ、とも言えるという事です。「あいつはヴェイガンだから」「こいつは連邦だから」といったレッテル貼りを、彼女だけが拒んでいるのです。
前話でアセムは、ゼハートの事を「あいつはヴェイガンなんだ!」と言い切り、この第24話ではゼハート自身すら「私はヴェイガンだ!」と発言しています。そんな中、ロマリーだけが、連邦とヴェイガンに色分けされる前の、学生時代の三人の関係を死守しようとしているように見えます。
もし、そのように解釈する事が可能であるとするならば。そのようなロマリーから、後々キオ・アスノが生まれるというのは、ガンダムAGEのテーマを考える上で決して小さくない符合であるように思えます。
AGEにおいては、前代の主人公夫妻のうち、必ず母親の髪色を次代の主人公が受け継ぎます。そして実は、前代ヒロインが主人公と接して願った事を、次代の主人公が受け継いでいる、とも見る事ができます。
フリット編において、エミリー・アモンドが望んだ事は「フリットが戦わない事」でした。復讐心一辺倒で邁進していくフリットが、平穏な生活から離れすぎないよう必死に引き留めようとしていたのが彼女です。そしてエミリーの息子アセムは、フリットとは違い平和な学園生活を大事にできる人物でした。
そしてロマリーとキオです。この第24話で、ロマリーがゼハートをかばう時に、
このように、腕を広げて庇うポーズをとります。
皆様ご記憶でしょうか、第3話の解説を書いた時に、『ガンダムAGE』においては
このポーズが重要な読解の鍵になると書いたことを。
実は、私は今回、解説記事を書くために本編を見直すまで、アセムが卒業式でこの「両手を広げて庇うポーズ」をしていたと記憶していました。アスノ三世代がそれぞれ、このポーズで何かを守ろうとする事が重要だという読み方をしていたのです。
ところが、実際に見直してみると……
アセムは、AGEの鍵になるはずのこのポーズを、とっていません。
アセム編でこのポーズをとるのは、ロマリー・ストーン。アセムが「ゼハートはヴェイガンではない」といって庇ったのと違い、ロマリーは「たとえゼハートがヴェイガンだったとしても、なお」庇っている。
そして、そのようなロマリーの意志を継いだキオ・アスノが、ガンダムAGE最終盤において、この「両手を広げて庇うポーズ」を見せる事になります。
だとすれば。AGEを見た感想の中でよく言われる、「ヒロインの存在感が薄い」という部分も、考え直してみる余地はありそうです。エミリーやロマリーが果たしている役割は、見た目よりも大きいかも知れません。
(もちろん、そうでないかも知れません)
……と。
大体以上のように、わずか5分程度の場面展開に相変わらずすごい量の情報が圧縮されているので、解きほぐそうとするとなかなか大変です。
しかしやはり、AGEの脚本は非常に細部まで練り込まれている事は、改めて確認できるのかなと思います。
▽ゼハートの進化、ガンダムの進化
後半は戦闘シーンです。ウルフ隊にフリットを加えた戦力に、ゼハートとマジシャンズエイトの半分、という戦力で戦闘が繰り広げられます。
ここで、フリットはゼハートと一騎打ちの形になるのですが、フリットのパイロットとしての腕に感心しつつ、ゼハートの放ったセリフがまた面白いところです。
「フリット・アスノ、さすがだな。しかし、私も進化しているのだ!」
この発言と共に、ゼハートはフリットの乗るAGE1を圧倒して見せます。
注目すべきは、ゼハートが「進化」という言葉を口にしている事です。
一方、窮地に追い込まれたディーヴァMS隊ですが、ここでAGE2の新しいウェアが登場します。
「AGE2の新しいウェアが完成してるぞぉ!」
ディケさん顔近いよw
そしてAGE2のウェア換装が初めて行われます。
AGE2ダブルバレット。
両肩のバインダーから強力なビーム砲が発射されるほか、その砲門を使って、
巨大なビームサーベルを形成する事も可能。両手のビームサーベルとも合わせ、なんと四刀流の戦闘が可能です。
言うまでもなく、AGEシステムによるガンダムのウェア換装は、すなわち「ガンダムの進化」でした。この場合は特に、先のビッグリング防衛戦など大規模会戦のデータに加えて、アセムの初陣以来、彼が二刀流を得意としてきたデータの元に導き出されたのでしょう。
以上から、二つの事が言えます。
一つはAGEシステムについてです。第8話で書いたように、AGEシステムの「進化」は環境への適応を指すのですが、それに加えてパイロットの癖や得意戦法なども、AGEシステムは考慮しているという事。ガンダムの換装ウェアはAGE1から3にかけて、徐々に近距離から遠距離戦特化へと変化していくのですが、これは戦局の変化と同時に、パイロットの性格や戦闘スタイルとも関連してるのかな、という連想が働きます。
そしてもう一つは、もう少し大枠の話です。
連邦、というよりアスノ家においては、メカが「進化」します。それに対して、ヴェイガン側は人間が「進化」するのだと言っている、という事です。
ガンダムAGEの最大のキーワードは「進化」なのですが(作中台詞への登場頻度や、AGEシステムの設定を見てもそうですし、またフリット編のOP、EDの歌詞にも「進化」というフレーズが入っています)、この概念を巡るアスノ側と、ヴェイガン側の意味するところの違い、目指すものの違いを考えていくと、この作品の意図を読み取る足がかりになっていくと思います。
今回はまだ、問題提起のみとしておきましょう。
▽グルーデックの最期
この回、もう一つの重要な出来事として、グルーデックの暗殺があります。
直接の実行犯は、フリット編に登場した、ギーラ・ゾイの息子のアラベル・ゾイ。彼に暗殺される事で、ある意味グルーデックの物語は完結した事になります。グルーデックもその事自体には、納得していたようなフシがあります。やはりこの人は、丸きりの善人ではないけれど、落とし前だけはきっちりつけていく人でした。
ところが、そのアラベルもまた、用済みとして直後に暗殺されてしまいます。
その後の黒幕っぽい人たちの会話を見るに、どうもヴェイガンの差し金ではなさそうです。グルーデックは、連邦内部にヴェイガンと内通する者がある、という事を暴露しようとしていたので、どうもそういう身内の差し金だったようです。
フリット編において、倒すべき敵は完全な外部の他者でした。これは、フリット編に対応すると思われる、70年代以前のエンタメ作品においても、ある程度共通した特徴でした。まったくの部外者、異邦人たちであるが故に、後腐れなく撃退してハッピーエンドになれた(もちろん、例外もあるでしょうが)。
しかし、世代が進むと共に、敵は必ずしも完全な外部の者ではなくなっていきます。前回の、テクノソロンのような企業に続き、国の中枢にも「敵」が浸潤してきています。
この傾向がキオ編ではさらに進み、親しい隣人までもが敵かも知れない時代へと、徐々に変わっていくのでした。それは現実世界が、国家同士の全面戦争から、徐々にテロリズムによる戦争へと変わっていく過程を、着実にトレースしているのです。
この辺の詳しい話は、キオ編にて。
……と、そんなところで。
気が付けば今回の記事もかなり長くなってしまいました。読者の皆様はついて来てくださっていますでしょうか。
今後も、出来るだけコンパクトに納めようと努力はしますが、どうにもAGEという作品は語る事が多すぎて、長くなりがちです。適度に休憩などとりながら、どうか引き続きお付き合いください。
次回は、苦悩を続けるアセムにとっての大きなターニングポイントとなる話です。お楽しみに。
※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。