機動戦士ガンダムAGE 第27話「赤い夕陽を見た」

     ▼あらすじ


 ダウネス攻略のため、自らAGE1に乗って推進機関を破壊するフリット。さらに、アルグレアスの機転によって敵艦をダウネスに衝突させて干渉スクリーン「ギガンテスの盾」も破壊され、ついにフォトンリングレイがダウネスを直撃した。しかし、地球の引力に引かれて落ち始めたダウネスは、ディーヴァと衝突。離脱を試みる中で、整備士のレミ・ルースは命を落としてしまう。
 一方、ゼハートとの最終決戦に臨むアセム。しかしダウネスの地球落下を知ったアセムは、「みんなを守るため」に、戻れないのを承知で内部からの破壊のため突入していく。ヴェイガンにとってエデンである地球を守るためにゼハートもこれに続き、アセムと協力してダウネスのコアを破壊。そして、イゼルカントの導きで脱出に成功するが、ダウネス崩壊の破片からアセムを庇ったゼハートは地球へ落下してしまう。それを救ったのは、ドールのゼダスMだった。
 そして、無事地球へ降り立ったアセムは、生まれて初めて、夕陽を見上げるのだった。



      ▼見どころ


 アセム編のダウネス攻防戦が終結する回。
 いつもより長い上記あらすじをご覧になっていただければ分かるように(笑)、恐ろしく大量のエピソードが詰め込まれた、密度の高い回です。普通に作れば、これだけの展開を収めるには1時間くらいは必要なはずで、30分枠でこれだけやったというのは職人芸の域だと思います。初見の方にとっては、レミの戦死などが唐突に感じられた部分もあったかも知れませんが……しかし、描写として何が起こったかが分からなくなるような、粗雑な場面は無かったことと思います。


 そのような、ガンダムAGEを象徴するような情報過多の詰め込み脚本の中に、歴代ガンダムの、特に『Zガンダム』から『逆襲のシャア』までのテーマや問題意識もまた、過剰なくらいに埋め込まれています。まずはそれを拾っていきましょう。



      ▽”Beyond the Time”


 この回の後半、ダウネスがコロニー・ノートラムを超えて地球に落下し始める辺りから、大気圏突入を巡るエピソードとなっていきます。まずはこの点。
 初代ガンダム以来、TVシリーズのガンダム作品にはほぼ必ず踏襲されていたパターンがありました。宇宙戦と地上戦の他、砂漠戦や水上・水中戦のエピソードが必ず入っている事。そしてもう一つ、ガンダムシリーズで恒例行事にあたるのが、大気圏突入です。
ガンダムAGE』は、クール毎に世代が変わる特殊な構成の話であり、またフリット編では敵MSに人が乗っている事が知られていないなど変則的なシナリオになっていますが。そんな中で、ガンダムの恒例行事をさりげなく押さえて来ている事は注意されても良いと思います。AGEではフリット編において、地球から遠いコロニー・ノーラへのUE襲撃から始まり、アセム編で地球に最も近いコロニーが戦闘の目標となり、キオ編でとうとう地球上に舞台が移る、といった経緯を踏みます。
 つまり、構想時点でかなり強い縛りがあったと思われます。そのため、ガンダム恒例のイベントのうち、地上戦に関するものをキオ編に入ってから大急ぎで回収していく事になるわけでした。
 この辺りの、お話の都合と「ガンダムのお約束」とのすり合わせを眺めてみるのも、また一興かと思います。



 そして、大気圏突入、さらに巨大構造物が地球に落下するというシチュエーションが発生する事で、否応なく歴代ガンダムの場面やテーマが重なってくる事になります。
 とりあえず、視聴者の方にとっても印象深いのは、



 推進装置を破壊されたダウネスを押す、ヴェイガンMSでしょう。
 これはもちろん、



逆襲のシャア』のこのシーンのオマージュでなければなりません。
 また、Blinking Shadowのさわkさんが度々指摘されていましたが、ここでダウネスを押すヴェイガンMSを、フリットが咄嗟に攻撃できないというのが面白いところです。
 フリットはアセム編に入ってから、前話までヴェイガン機を一度も撃墜していませんでした。しかしダウネス攻略のために出撃した今回、冒頭でついに敵機を撃墜するシーンが入ります。
 ところが。そのフリットの戦意が、「ダウネスを押すヴェイガン」を見てはたと止まってしまうのですね。
 もちろん、直後にダズが特攻を仕掛けて来て、その対応に追われる展開なので、もしそれが無かったら結局フリットは攻撃をかけたかもしれませんが……。この一瞬、ヴェイガンMSの必死な姿を見てつい手を止めてしまった辺りに、この人物の内面が透かし見えます。



 また、前回整備士のレミ・ルースにプロポーズを了承されたオブライトさん。
 戦場におけるこうしたやり取りは、いわゆる「死亡フラグ」として知られています(笑)。歴代ガンダムにおいて、ここまで明瞭な死亡フラグを立てた人物と言えば、



「とっておきのサラダ、用意しておくからな!」「愛してるよ」
 ……という、このお二方でしょう。ここでも、関連しているのは『逆襲のシャア』であるように思えます。
 もっとも、本来なら告った方にフラグが立つわけで、そういう俗な視線から見ればむしろオブライトの方が「死にそうなこと」をしていたのですが……何故レミの方が死ななければならなかったのか、については、後ほど少し穿った考察をしてみたいと思います。



 そして、『逆襲のシャア』について言えば、何よりも、



 この展開を想起する必要があります。
 地球にアクシズが落ちる間際、それまで争っていたはずの連邦とネオ・ジオンが、共に隕石を押し返そうと協力し始める、この場面。
 今まで敵対していたアセムとゼハートが、地球を守るという段階に入って協力関係に戻る事が出来たという展開には、こうした『逆シャア』への意識が強く流れているのではないかと思います。
 ここまで、歴代ガンダムの80〜90年代テーマを描いてきたと見えるアセム編が、最後に『逆襲のシャア』へのオマージュを重点的に散らしてきているのは、この時期のガンダムテーマの集大成がやはりここにあるという意識からではないかと思います。
 ……というように、繰り返しになりますが、AGEの歴代ガンダムオマージュには一定の傾向が見られるらしく、ただ闇雲に過去ガンダムをパクっているだけではないらしい事は、ここまでお読みの方ならば了解されているのではないかと思います。


 ちなみに、この回のオマージュ元は逆シャアだけではなくて、



 マジシャンズエイトのミンクがディーヴァのブリッジに肉薄するシーンは、



 さりげなく『0083』のノイエン・ビッターがオーバーラップされている気がします。
 また、ダウネス爆破に乗じて、ヴェイガンの潜入工作員が地球に送り込まれており、



 これはキオ編以降にも続く伏線になっているのですが。
 同時に、このシーンは『機動戦士クロスボーンガンダム』のオマージュでもあるでしょう。海賊の船マザー・バンガードが撃沈された際、海賊軍たちがその破片に混じって地球に降下、連邦および木星軍の追撃を逃れるという展開があります。
 アセム編からキオ編への伏線となる場面に、クロスボーンガンダムのシーンを混ぜてくるあたりにAGEスタッフの遊び心が出ていると思います(笑)。もちろんこれは、キオ編以降でアセムがどのように登場するかをこっそり暗示しているのです。



 そんなわけで、まずは軽く場面ごとのオマージュを見てきました。
 しかし、このような表層的な場面の引用だけに終始しているわけではありません。ガンダムAGEの作品としての射程は、より深くガンダムシリーズの様々なテーマを総括的に包含しようとしているように見えます。
 そこで今度は、これまで触れずに来てしまった、レミ・ルースとオブライト・ローレインの話をしましょう。



      ▽レミ・ルース、あるいは「家としてのディーヴァ」



 レミ・ルースが戦死するという、この回の展開については、放映当時、否定的な感想も散見されました。
 いわく、本筋の話とあまり関係のないサブエピソードに過ぎない、またレミ・ルースの死亡という展開が唐突過ぎて、取ってつけたような構成になっている。
 例によって、こうした批判的意見に対する私の感想は一つです。「うん、その通りだ」。AGEのストーリー展開に対する、放映当時の率直な感想は、大抵の場合当たっています。単純に、ドラマとしてのAGEにそういった短所のある事は確かでしょう。
 その上で、筆者私の解説に際しての基本スタンスも変わりません。「そのような無理な構成にしてまで、この場面を脚本に織り込んだ意図は何か」を探る事です。


 再三言うように、AGEの物語構成は、放送枠に対して大変タイトであり、慢性的に尺が足りない状態です。アセムとゼハートの関係にしても、アセムとロマリーの関係にしても本来ならもっと描写を重ねるべきところ。
 そんな中で、一見本筋と関係ない、レミとオブライトの関係をここまで描いてきたのは何故でしょうか?
 私見では、アスノ家のメンバーでは上手く描けなかった、歴代ガンダムの重要テーマをストーリーに取り入れるため、です。
 まずは、この二人の関係とセリフを、軽く追ってみましょう。



 レミ・ルースの初登場は第21話でした。ここでオブライトはレミに一目ぼれ。



 そして23話。ここでレミは、ディーヴァのカタパルトを掃除しています。
「だめですよお!家の玄関はちゃんと人の手できれいにしないと!」



「でもディーヴァって、本当に自分の家みたいな気がするんです。クルーの人たちといると、ああ、家族ってこんな感じなのかなって」



 第25話。ここで、オブライトがレミにプロポーズ。レミは一時中座。



 第26話。レミがプロポーズを承諾します。
「帰ってきてくださいね。この艦(ふね)はわたしたちの家だから」



 そして、第27話。ダウネスと衝突し身動きが取れなくなってしまったディーヴァ。フォトンブラスターキャノン発射のためのカートリッジ交換をレミが引き受け、途中、襲撃してきたミンクから艦をかばって、そのまま戦死したのでした。
 駆けつけたオブライトに、レミがかけた最後の言葉が、



「オブライトさんと家族になりたかったんだ……わたし、ひとりぼっちだったから……」
 そして、オブライトはちゃんとディーヴァという「家」に帰るように、と告げるのでした。



 このように続けて見てくると、明らかだと思います。レミ・ルースが再三示していたのは、「家としてのディーヴァ」です。それも、「ひとりぼっち」だったレミ自身にとって、直接の血縁関係がなくても「家族ってこんな感じ」と思うことが出来る、そんな「疑似家族」を成立させる家としてのディーヴァ、でした。


 言うまでもなく、この「疑似家族」モチーフもまた、歴代ガンダムで再三登場した重要なテーマなのでした。
 そもそも、初代ガンダムというのは、




 母親、父親と苦い別れをしてきたアムロが、



「僕にはまだ帰れるところがあるんだ、こんなに嬉しい事はない」
 とホワイトベースクルーに呟いて終わるという話だったわけです。このような形で、ホワイトベースアーガマは、直接の血縁でつながっているわけではない者同士を疑似家族として成立させる器として、作中で機能していました。そうしたモチーフを強調するためのセリフは、あちこちに見つける事ができます。



 スレッガー中尉は、ミライ・ヤシマホワイトベースのおふくろさん」と呼びました。



 カツ・コバヤシを託されたクワトロ・バジーナ、「父親代わりの経験もいいと思っている。胸がときめく」と発言。
 また、アーガマにシンタとクムを連れてきたりもしています。



 またZZ作中で、シャングリラチルドレンはブライトをアーガマのお父さん」とよく呼んでいました。


 このような疑似家族の要素をAGEに取り入れようとした時、これはアスノ家の人間を持ってきても上手く描くことが出来ません。フリットとアセムにしても、ディケとアリーサにしても、実際に血縁のある「本物の家族」だからです。
 アセムの物語にも、フリットの物語にも絡まない、レミ・ルースの描写になぜ尺が割かれたのか。それはディーヴァに、「疑似家族の空間」としてのホワイトベースアーガマの情景をオーバーラップさせるためでした。


 では、そのレミ・ルースがなぜ死ななければならなかったのか?


 それもまた、80年代以降のガンダムが描いた「断念」の反映だったのだと思います。
 初代ガンダムでは、主人公アムロが最後に見出した希望だった「疑似家族」ですが、『Zガンダム』以降に描かれたのはむしろその限界でした。そもそもZの時点で、ホワイトベースに成り立っていた「疑似家族」は半ば離散しています。アムロが「僕の好きなフラウ」と呼びかけていた相手は、ハヤト・コバヤシと結婚していました。そしてアムロ自身もホワイトベースクルーと離れて、シャイアンの基地に幽閉同然の孤独な暮らしを強いられていたのです。アムロはZ劇中では、一度もブライトと顔を合わせません。


 そしてまた、「父親代わりの体験もいいと思っている」と言っていたクワトロは、カツの面倒をほとんど見ないまま。カツは捕虜のサラ・ザビアロフが逃走する手助けをしてしまうなど散々迷走した挙句、結局戦死してしまいます。


 ZZでの「アーガマのお父さん」ブライトもまた、連邦軍の後方支援がまったく望めないため、やむなく自身が裏方に回り、ネェル・アーガマはビーチャ・オレーグが艦長という無茶な体制で運用せざるを得なくなりました。


 また、宇野常寛氏が「Zガンダム回顧録」で指摘しているように、カミーユを「お兄ちゃん」と呼んで接近してくるロザミィ=ロザミア・バダムもまた、ある意味で「疑似家族」的なキャラクターなのですが、結局この事はカミーユを精神的に追い詰めるという悲劇しか生み出しません。
 これは、ジュドーを兄と呼ぶエルピー・プルや、ウッソに「お母さんをやりたいのなら、自分で子供を生んで、それでやって下さいよ!」と言われて敗死したルペ・シノなど、この時期のガンダム作品に共通した流れです。
 極めつけは、シャア・アズナブル総帥のララァ・スンは、私の母になってくれるかもしれなかった女性だ!」でしょうか(笑)。
逆襲のシャア』では、アムロとシャアの最後の会話で、父親を求めていたクェス・パラヤを受け止められなかった事にも触れられています。



「俺はマシーンじゃない、クェスの父親代わりなどできない」
「そうか、クェスは父親を求めていたのか。それで、それを私は迷惑に感じて、クェスをマシーンにしたんだな」

 アムロとシャアの最後の戦いの、最後のやり取りに、クェスの話題が出る事を唐突や場違いに思う人も多いのだと思うのですが。見方によっては、かつて「疑似家族」に救いを見出していたアムロやシャアですら、最終的に「疑似家族」で人を救ったりあるいは自分が救われたり、といった事に実は失敗していた事の再確認だったようにも思います。


 要するに、ニュータイプと同じくらい、「疑似家族」に対する希望も否定されてしまう「現実認知」の時代を迎えていたのが、80〜90年代のガンダムなのであり。
 レミ・ルースが報われずに戦死する事もまた、もはや「疑似家族」を希望として描けない時代を描いていた、ようにも思えるのでした。



 ただし。
 これは強調して言っておく必要があるのだと思うのですが、ガンダムAGE』は「現実認知の物語」ではありません。
 ここでオブライト・ローレインが生き延びて、後の時代にレミ・ルースの意志を残していくという構成を、AGEの脚本はとっているのでした。


 ……と、このようにガンダム史上の一大テーマのひとつをまた作品に大急ぎで取り込みつつ、ストーリーはいよいよ、アセム編の収束へと向かいます。



      ▽アセムとゼハートの共同作業



 ダウネスの地球落下を防ぐため、アセムは生還の可能性がないことを承知の上でダウネス内部に突入。ゼハートもこれに続きます。



「アセムか この要塞を内部から破壊するつもりか?」
「ああ……! お前に邪魔はさせない!」
「だが中は複雑だ。奥までいけば、戻る時間はない」
「わかってるさ」


 そして、ゼハートの指示によりダウネスのエネルギーコアにコロニーデストロイヤーを設置。
 束の間の静寂に、二人は改めて言葉を交わします。



「また2人で協力しあう日がくるなんてな」
「そうだな……」



「ずっと戦い続けてきた。ヴェイガンの戦士として。我らの悲願を叶えるために……だがあっけないものだ。しょせん、一人でできることなんて、ちっぽけだったよ」 
「そうでもないさ。救ったじゃないか、多くの人の命を」
「いや、守りたいのは、我らのエデンとなるべき大地」



「エデンをつくると決めた。死病におびえることや戦争で殺し合うこともない、理想郷だ」
「それがお前の戦う理由か……」



「俺はなぜ戦っているのかもわからず、頭にあるのは 父さんや お前に追いつきたいという嫉妬心だけだったんだ」
「だが お前はここにいる。守るべきものたちのために、命を懸けて。お前も 戦士だ」


 二人の和解の経過を、少しだけ整理しておきます。
 ゼハートはここまで、ダウネスをコロニー・ノートラムを占拠して地球侵攻の足掛かりとする作戦を指揮して来ました。しかし作戦は失敗し、ダウネスは地球への落下コースに入ってしまいます。地球はヴェイガンにとって「エデン」となるべき地で、汚染するわけにはいかないので、彼は身を挺してでもこれを破壊する決意をしたのでした。
 アセム編開始からここまで、ゼハートの指揮した作戦は一度も完全に成功した事がありません。ゼハートの「しょせん、一人でできることなんて、ちっぽけだったよ」という述懐には、そうした無力感もあるでしょう。ここで彼は、もしかしたら初めてイゼルカントの意志から離れて、自身の内心を吐露したのかも知れません。
 同時に、第22話の解説で書いたように、かつてアセムを「自分のために戦っている」と糾弾したゼハートは、このような挫折によって、ようやくアセムの悩みに共感できる余地を持ったのでした。


 一方、アセムもまた、ゼハートの目指す戦う理由が、「死病におびえることや戦争で殺し合うこともない理想郷」である事を知り、彼にとって共感可能な理由だった事で、アセム自身のわだかまりもかなり解消された、といったところです。


 かつて、一度は見失ったアセムの戦う目的「みんなを守るため」。しかし、落下するダウネスを破壊するというミッションに限れば、アセムに迷う理由はありません。そのように、迷いなく命を懸ける決断が出来たのは、彼が「フリットの作戦を実行する」のではなく、自らミッションを立案・実行したからでもあります。ダウネス内部に突入するという自ら発案したミッションだったからこそ、「自分の目的」と「社会の目的」を一致させる事ができたのでした。
 そして、そのように迷いなく命をかけることができたアセムを、ゼハートは「戦士」という言葉で認めるのです。
 三世代編をご覧になった方はご存知のように、ゼハートにとって「戦士」という評価はおよそ最上級です。このような経緯で、



 二人はトルディアの学園以来の、和解を成立させる寸前にまで達します。
 しかし、二人は和解の握手を交わすことがありませんでした。



「お前にはまだやるべきことがある……」
 そう、イゼルカントの呼びかけにより、脱出経路が判明したからでした。
 あるいはここで、ダウネスともどもアセムとゼハートが命を落としていたら……不幸な結末ではあったでしょうが、二人の「和解」は成立したかも知れません。しかしここで脱出が成功した事で、再びアセムとゼハートの相互理解は距離が離れてしまう事になるのでした。



 それにしても。
 ダウネス総指揮の権限があったゼハートすら把握していなかった脱出経路の存在は、イゼルカントがここまでの展開をすべて予期していた事を思わせます。地球への降下艇へ乗り込む間際、メデル・ザントが一瞬そんな疑念を呟きますが。まるでダウネス地球降下までが予測されていて、そこに死ぬのを承知で突入してきた者がいるかどうかを見定めていたかのようです。
 そして、それを見定めるのが目的であったかのように、これ以降キオ・アスノの世代まで、ヴェイガンは大規模な行動を起こさないという事になります。
 このように、最終決戦において、やけに事が都合よく運ぶという事例は、実はフリットの時にもありました。



 第15話。グルーデックたちが危険を冒してアンバット内部に侵入したのは、要塞動力炉へのゲートを開き、ガンダムを中へ導きいれるためでした。
 ところが、グルーデックたちが司令室へ突入して動力炉へのゲートを開くより先に、



 ギーラ・ゾイはガンダムを動力炉内部へと導きいれているのです。
 UE側がより長くアンバットで抗戦をしようとしているなら、このような不自然な展開になるはずがありません。
 まるで、地球種側がアンバットを攻略するレベルにまで到達すれば、このステージは用無しで、これ以上長引かせる必要はない、とでも言いたげなくらいに。


 しかし貴重な根拠地を失ってまで、そのように事を急ぐ理由はどこにあるのか。
 それはキオ編以降で明かされる、イゼルカントの思惑と関わっているように思います。



 このようにして、「イゼルカントの思惑」「地球へ降下したヴェイガン兵」など、今後のための伏線を散りばめながら、アセム編の最終決戦は終わりを告げたのでした。



 最後には、印象的な地球の夕陽の情景。
 ゼハートたちが「エデン」のために恋い焦がれる地球の雄大な景色を、アセムもまた初めて目にしました。
 そして同じ景色を見たフリットは、



「この美しさを奪い合って我々は戦争をしているのだ……」
 と呟くのでした。
 ここにきて、話のフォーカスはいよいよ、地球へと当たっていく事になります。



 さて、次回はアセム編のラスト。アセム編とキオ編をつなぐ、小粒ながら重要な回です。
 AGE全体にとっても重要なターニングポイントになります。丁寧に追って行きたいと思います。
 今回はこれにて。



※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次