機動戦士ガンダムAGE 第29話「じいちゃんのガンダム」

     ▼あらすじ


 ノートラム争奪戦から10年、ロマリーとアセムの間に、キオ・アスノが誕生する。しかしその直後、アセムは行方不明になってしまう。
 それからさらに13年後、ついにヴェイガンの地球侵攻作戦が発動され、キオたちのいるオリバーノーツは攻撃にさらされる。そこに現れたのは、祖父フリット・アスノと新しいガンダム、AGE-3だった。変形合体を果たしたガンダムは、フリットがゲームを介してキオに教えた操縦技術も相まって、圧倒的な戦闘力でヴェイガンMSを撃破していく。しかしそこに、再び赤いMSが迫るのだった。



      ▼見どころ


 大変お待たせしましたが、いよいよキオ編の解説に入っていきたいと思います。
 最初の主人公フリットは歳を重ねて「じいちゃん」となり、第二世代の主人公アセムは物語から姿を消しています。そして物語を締めくくる最後の世代、キオが登場して来ました。
 私の読解基準では、『ガンダムSEED』以降のゼロ年代作品が主にフィーチャーされていると見られるのが、このキオ編以降の展開です。こうした見方が妥当かどうかは読者の方に判断をお任せしようと思いますが、まずは物語の流れに沿って、注目すべき点をひとつひとつ取り上げていきたいと思います。
 まずは、キオ編スタート時点でオマージュされているものを、確認していきましょう。


    ▽キオ編が下敷きにしているもの


 フリット、アセムがそうであったように、キオもまた登場時点で過去ガンダムの主人公を彷彿とさせる特徴をいくつか持っています。それはAGE-1、AGE-2と続いてきたガンダムのデザインも同様です。
 まずは機体の特徴から見ますと……ガンダムAGE-3は、AGE世界のガンダムとしては初めてコアファイターを持った変形合体機構を有しています。
 これは、AGE-3のマッシブなシルエットとも合わせて、当然ガンダム史上のある機体を思い出させます。一番、表面的に分かりやすくオマージュされているのがこれでしょう。



 そう、Zガンダムです
 そもそもAGE-1は初代ガンダムに、AGE-2はZガンダムにそれぞれ似せて設定されているのですから、順番としてもここでZZガンダムが来るのは順当です。
 特に、




 OPで合体シーンが流れるところなど、いかにもそっくりです。


 しかし。
 AGE-2がそうだったように、この作品においてMSには必ず複数のイメージが重ねられています。これはAGE-3も同様です。たとえば



 この、合体に際して誘導ビームが出る演出は、



 『SEED Destiny』のインパルスガンダム合体シーンですね。


 そしてもう一つ、AGE-3は構造として、



合体したコアファイターガンダムの頭部になります。
 ZZのコアファイターは初代ガンダムと同じく腹部に格納されるので、明らかに構造を違えています。単にZZをオマージュしたいだけなら、こういう構造にはならないでしょう。これはインパルスも同じです。
 では、コアファイターが頭部になるガンダムは?



 そう、ガンダムです。
 ここでVガンダムがオマージュ元に登場してきている事には注意しなければなりません。なぜなら、キオ・アスノの設定がVガンダムの主人公、ウッソ・エヴィンに非常に似せてあるからです



『機動戦士Vガンダム』のウッソは、宇宙世紀ガンダムで初めての「地球育ちのニュータイプ」主人公でした。さらに、親から戦闘の訓練を受けていたという設定も持っています。
 この点、キオと非常に似通っている事がわかります。フリットもアセムもコロニー育ちだったのに対して、キオは登場時点で地球におり、フリットによってゲームを介して戦闘の訓練をされていました。年齢も13歳で共通しています。
 少なくとも、『ガンダムZZ』のジュドー・アーシタよりははるかに共通点が多い。



 そうであればこそ。
 AGE−3が合体する際、キオは叫んだのでした。



ガンダム!」
 シンプルな掛け声ですが、しかしここまで話を進めた後で見れば、ダブってくるものがあるはずです。そう、



ガンダム!」
 これもまた、ウッソ・エヴィンのセリフのオマージュに思えます。
ツイッターで、ここでキオが発した「ガンダム!」というセリフが声優さんたちによるアドリブである事を教えてもらいました。しかしそれは、私の読解が外れているという事を意味しないと考えています。作品というのは脚本家の頭の中だけですべて出来上がるものではないハズだからです。作品自身が、そのような偶然・アドリブを引き寄せた。特にアニメのようなジャンルは、様々な人の意志、そして偶然・セレンディピティの集合体であるはずです。
 そして私は、単に脚本家の意図だけを探っているのではなく、そのようにして結果的に出来上がった「作品」を、読解することを目指しています)


 どうあれ、AGEというテレビシリーズはフリット編、アセム編を経て、AGE-3でZZやVガンダム、キオの設定でウッソをオーバーラップさせることで、TVシリーズの宇宙世紀ガンダムのイメージを大体とり入れ終えている事になります。


 今までも指摘してきたように、『ガンダムAGE』は過去のガンダム作品のオマージュを多く行っている作品ではありますが、しかしどの作品からの引用か、という点は決してシンプルではありません。表層的な飾りでもないし、デタラメでもない。たとえば『ガンダムSEED Destiny』や『ガンダムUC』に初代ガンダムのセリフがただリフレインされているのとは、根本的に質が違うものです。
 上記2作品と違い、AGEの過去作品引用には、読解を要求するだけの複雑さや、意図があります。過去ガンダムのオマージュを取り入れた作品は過去にも多くありましたが、外伝も含む全作品を貪欲に持ち込もうとした作品は多くありません。そこに、AGEという作品の野心的な目論見が見えるはずです。
 本当であれば、長くガンダム作品に接してきたファンであるほど、これらメッセージをちゃんと受け止められたはずなのです。



 そして同時に。ガンダムAGEは、10〜20年単位の時代相をも映し出してきているのだ、という話を私はしてきました。キオ編の冒頭には、そうした意味でも、フリット編アセム編には見られなかった特徴が色々見られます。その辺りも一通り見ていきましょう。



    ☆キオ編と「21世紀の戦争」



 キオ・アスノは、初めてガンダムに搭乗したにも関わらず、ガンダムを自在に操ってヴェイガンのMSを次々撃破していきました。
 なぜそのような事が出来たかと言えば、



ガンダムはわたしがお前にやらせていたMSバトルシミュレーターと同じ操作だ」
「あれ、ただのゲームじゃなかったんだ」


 フリットがキオに遊ばせていたゲームが、そのままガンダムの操縦シミュレーターだったからです。
 実際、キオについては、この第一話でも、またこの後の話に置いても、携帯ゲーム機で遊んでいるシーンが再三描かれます。



 携帯ゲーム機で遊ぶキオ。


 このように、ゲームで遊んでいた子供が実際の戦争に関わっていく、と言う時、普通は物語上のセオリーとして必ず常道の展開を踏んでいました。すなわち――ゲーム感覚で戦争に介入した結果人が傷ついたり死んだりし、「戦争はゲームじゃないんだ」といったメッセージを提示されるという展開です。たとえば富野由悠季監督も『オーバーマンキングゲイナー』において同様の展開を敵パイロットにさせています。
 こうした「戦争はゲームではない」といった発言は、AGEにも後々登場します。しかし、富野監督の世代(たとえば宮崎駿監督なども)がついついイメージしてしまいがちな「ゲームばっかりやっている子供」とは真逆の人物像として、キオ・アスノは描かれています。キオは、なよなよしていて、マニュアル通りにしか動けないというような、いわゆる「現代っ子」ではありません。



 走っている車からキックボードで飛び降り、子供を救いに行く活発さを持ち、



 その場にあった廃材で即席の橋を作れるような、応用力も持っています。
 特に後者については、アセム編第一話で、撃破したドラドの腕部ビームサーベルを使って2機目を撃破するといった父アセム・アスノの機転に通じるものがあります。


 考えるに、「ゲームしか知らないから、人の痛みがわからない。しかし戦争はゲームではない」というような言明は、現代においては微妙に通じなくなりつつあるのです。
 ゲームが人の痛みを伝えるようになったから?
 いいえ、逆です。戦争とゲームの境界が曖昧になりつつあるからです。



 そもそも、1991年開始の湾岸戦争において、空爆の様子がメディアによってリアルタイムで映し出され、その見た目から「ニンテンドー・ウォー」などと呼称されました。
 その後、戦争の現場においてデジタル化・自動化などが進み、21世紀に入ってからの戦争は、それまでとはかなり異質な光景が繰り広げられています。
 現在中東では、ドローンと呼ばれる無人攻撃機が配備されています。これは遠隔操作を行うのですが、そのために中東にいる必要すらない。アメリカ本土の基地で、中東を飛ぶドローンを操作可能だといいます。


参考
米国の無人爆撃機を操縦していた若者の回想が…すさまじい(見えない道場本舗)


 皮肉にも、上記記事にあるように、こうした任務の成果を示す勲章が検討された時、その揶揄の言葉に「ニンテンドー勲章」という名前が使われたのでした。
 戦争がこのようになりつつある時、キオのような子供に対して「戦争はゲームではない、人が実際に死ぬんだぞ」などという説教をする事は、無効になってしまいつつあります。現実の戦争自体が、インターフェースだけ見ればまるでゲームなのです。


 そう。21世紀に入って、戦争はその様相を大幅に変えつつあるのです。少なくとも、第二次世界大戦の頃の「戦争」イメージは、現代においてはまったく無効化していると思って良いでしょう。



 たとえば、古い書評ですが、下記の記事などを流し読んでも、その事は知れます。
『ロボット兵士の戦争』P・W・シンガー(書評空間)


 こうした側面は、AGEの別のシーンにもかすかに表現されています。
 イゼルカントの宣戦布告の直後、各地に隠れていたヴェイガンMSが一斉に蜂起し街を襲い始めるシーン。




 これは表面的には、ガンダムUCでジオン残党軍が決起するシーンのオマージュにもなっているかと思いますが、AGEという物語全体の流れを見た時、そこに隠された意味を見逃すべきではありません。


 ヴェイガンのMSはこれまで、神出鬼没にどこからでも現れ、コロニーを攻撃してきました。このオリバーノーツで起こっている事も一見同じように見えますが……明確に違います。彼らは地球に「潜伏」していたのです。



「これだけのヴェイガンが地球に潜んでいたというのか!?」
 これらヴェイガンは昨日今日地球に降りてきたわけではありません。アセム編最終決戦、ノートラムでの戦闘でダウネスが崩壊した際、一部ヴェイガンが地球に降下・潜伏して以来、その後も続々と地球に紛れ込んできたはずです。
 トルディアに潜り込んだゼハートやダズのように、隣人として地球に潜み続けていたのでした。
 前回の解説記事でちらっと書いたように、「敵」のイメージが段々と移行してきている事に注意しましょう。フリット編の時点では完全にエイリアンだった敵が、アセム編では顔の見える敵兵となり、そして「隣人が敵かも知れない」というテロリストの姿へと変わってきているのです。外部の敵だったものが、内部に潜んだ敵へ。
 そしてこれは、西側と東側という完全に二極化した相容れない対立が、冷戦終結と共にだんだんと崩れ、そして「テロとの戦争」に移ってきた現代史上の戦争観の移り変わりを正確に写し取っている事になります。


 ガンダムAGEの小説版では、オリバーノーツ襲撃の合間に、次のような一文が差し入れられます。

 また、カルガリー方面戦線が一時とはいえ膠着したことはカナダ戦線における攻略作戦遅延を招き、手本のような電撃戦によって西海岸およびメキシコ湾岸を占領した名将ゼハート・ガレットの唯一の蹉跌となった。

 このような、戦線や戦地の状況の説明というのは、初代ガンダムでのオデッサ作戦をはじめ、戦記物において気分を高める非常に重要な記述です。
 小説版で書かれているような、こうした説明はアニメ版AGEにはありません。では、アニメ版AGEは「戦争を描けていない」のでしょうか?
 残念ながら、これも逆なのです。


 敵地に攻め込み、占領する。そうした「陣取り合戦」型の戦争というのは、ここ十年ほどでかなり下火になりました。
 そうした事を予測していたかのように、歴代ガンダムにおいては、こうした陣取り合戦型の戦争というのはかなり早い段階で姿を消しています。そんな戦争をしていたのは、事実上初代ガンダムだけです。
Zガンダム』を思い返してもらっても分かると思います。カラバはキリマンジャロ基地を攻撃しましたが、破壊工作はしても「占領し続ける」事は最初から考えていませんでした。そもそもエゥーゴやカラバの戦力や人員は少数で、敵地の占領を維持し続けるような作戦は不可能です。
『ZZガンダム』でも同じで、ネオジオンダカールを占拠しますが、サイド3割譲という要求を飲ませることに成功した後は引き上げています。
 Z以降において、世界の勢力地図というのは、ティターンズの/エゥーゴの主義や政策に賛成するという形で塗り替わっており、決して占領といった形ではないのです(たとえばZにおいては、ダカール演説後にサイド1がエゥーゴの主張に賛同し、サイド1駐留軍がエゥーゴに参加しました。ティターンズはそれに報復するためコロニーレーザーを発射する事になります)。
 最も極端なのは『ガンダムW』でしょう。序盤において、実質行動していたのは5人のパイロットのみ。当然、基地を占領など出来るはずがありません。彼らはただOZの基地を破壊しただけです。


 現実の戦争も、このようになりつつあります。
 2002年発行の、富野由悠季監督を囲んだ鼎談集『戦争と平和』において、富野監督は既に、今後の戦争においては「戦場が形成されない」という事を指摘しています。ソロモン攻略戦やア・バオア・クーの戦いのような「決戦」というのはもはや起こらないと。

富野 そうでしょう。さらには、戦場が形成されないから核が使えない、ということがあります。兵士たちが市街地に、つまり一般市民の中に隠れられるわけですから、サリンも使えなければ核も使えないのです。だからこれ以後の戦争というのはそういう普通の場所が、別の意味で「戦場」化するでしょう。

 そして、この富野監督の発言をなぞるような出来事が、実際に2003年のイラク戦争で起こりました。
 イラクに侵攻したアメリカ陸軍は、すさまじい早さで首都バグダッドを占領、イラク全土の占領にもわずか1か月強しかかかりませんでした。イラク軍の反撃に苦戦するのではないかという当初されていた予想ははずれ、ほぼ散発的な抵抗しか起こりませんでした。
 開戦から1か月半ほどでアメリカは戦闘終結宣言を出しましたが、そこから、潜伏していたゲリラやテロリストによる自爆テロ、ロケット攻撃などにより占領中の米兵に犠牲者が続出、死者の総計は数千人にのぼりました。バグダッド占領から実に7年間、じわじわと攻撃され続けたのです。


 初代ガンダムの戦争観であれば、バグダッド攻略を目指す米軍とイラク軍との間で、決戦が起こるはずのところです。そしてその「決戦」で勝敗が決し、停戦協定が結ばれて以降は平和になる、はずでした。しかし、そうはならなかったのです。これが戦争の新しい姿なのだと思います。敵味方両軍が轡を並べて正面衝突するといった「戦場」は形成されず、不意を衝いて襲ってくるゲリラに対する「終わりのないディフェンス」が、21世紀の戦争になっていきます。


 つまるところ。
 21世紀の戦争というビジョンに基づいて言えば、オリバーノーツ戦の描写は小説版よりもむしろ、アニメ版AGEの方が現代の戦争を描くという事にアクチュアルであったと、そう見る事もできるのです。

11月6日追記:この記事を書いてから後、第33話を再視聴中に、アルグレアスのセリフとして「今や地球上の40%はヴェイガンの制圧下にあります」という一節があるのに気づきました。これは、私がここで展開した「ヴェイガンは敵地を占領する方式の戦争を行っていない」という記述と矛盾するようにも思えます。もっとも、「占領」には敵地を占有するだけでなく、その地域を統治する意味まで含んでいるようで、「制圧」とは意味の相違があるようにも思えます。この辺りの判断は私には難しく、読者の方に委ねたいと思います。必要に応じて、割り引いてお読みいただければ幸いです。



(余談になりますが。日本人が「戦争」と言う時、いまだに太平洋戦争、第二次世界大戦のイメージしか持てていない事が多く、上記のような変化が起こっている中にあってはかなり問題なのではないかと思っています。
 毎年、8月の終戦記念日周辺にあわせて戦争特番がテレビで流れますが、未だにモンペ姿で逃げ惑うような番組しか流れていません。日本人の大半は、その後に起こった朝鮮戦争ベトナム戦争イラク戦争も、意識しなさすぎるように思います。
 そのような中にあって、アニメこそが、最も熱心に、戦争観の変遷を物語に織り込もうとし続けてきました。『ガンダム』というのもそうしたタイトルであると思います。
 富野作品でなくても、鋭い先見の明を発揮した作品はあります。『ガンダムW』は1990年代に作られた作品でありながら(9.11より前でありながら)、テロリストを主人公にするという先鋭的な脚本になっていました。そして作中に無人兵器を登場させ、さらにトレーズ・クシュリナーダに「モビルドールという心なき戦闘兵器の使用を行うロームフェラ財団の築く時代は、後の世に恥ずべき文化となりはしないでしょうか」と言わせた事は、特筆に値すると思っています。今の時代にこそ、『ガンダムW』はもう一度評価されても良いように思ったり。
 このように、時に狂おしいほど時代を先取りして見せるのが、「ガンダム」の面目躍如なのです)



 ともあれ、表向きで説明したり明示したりはしないものの、三世代に渡る物語を描くガンダムAGEには、こうした戦争観の変遷も暗になぞっているように思えるのでした。
 もちろん、この後も微細に、ひそかに、AGEは時代を描いていきます。また触れる事もあるかと思いますが、今回はここまで。
 またぞろ長い記事になっていますが、まだ触れなければならない事が残っています。駆け足で押さえていきましょう。何かって――この人たちに触れておかないわけにはいきますまい。



      ▽ビルドゥングスロマンの死


 この話の冒頭、キオの父、アセムが少しだけ顔を出します。「チビ、お前の名前はキオだ。これからずっと一緒にいてやるからな」と告げるアセムは、最後の任務に出かけて行きます。



「せめてあの子には見せてやりたい。戦争なんかない世界を」
 しかしこれを最後に、アセムは「漂流船調査の任務」で行方不明となり、キオはその遺品となったAGEデバイスを持ち続けていたのでした。


 フリットからアセムへは、正統に引き継がれていたAGEデバイスが、アセムからキオへはこのような形でしか渡っていません。これは少し注意すべき点です。キオは正式な意味で、「アセムからガンダムを受け継ぐ」という事が出来ていないのです


 ここで、アセムの行方不明という形で断念されているのは、「ビルドゥングスロマン」とでもいうべきものでした。父から子へと使命が受け継がれ、やがて成長した子供が父に出来なかったことを果たす。そのような正当な物語の型です。
 フリットとアセムの間には、この形が保たれていました。アセムフリットから正式にガンダムを託され、フリットには完遂出来なかった「デシルの打倒」をやり遂げて、父を超えるという物語が展開されていました。
 しかしキオには、乗り越えるべき父が最初の段階で失われています。


 教養小説ビルドゥングスロマンの断念。これもまた、近年のエンタメ作品が陥った苦境のひとつでした。
 ウッソ・エヴィンは「子は親を超えていくものなんです!」と言っていましたが、そのような形で子が親を超え続けていられるのは、世の中が右肩上がりで発展・成長し続けているからです。
 しかしバブル崩壊によって世の中そのものが低迷、「失われた20年」といわれる不景気低成長が日本を覆うと、乗り越えられるべき大人が、迷い、自信を無くし、あるいは落ちぶれるという事態になりました。そうなると、子供にとって、親の世代が「乗り越えるべき壁」として成立しなくなってくるという事になります。
 キオが親を失ったという事は、そういう事です。


 実際、(これは海外のファンが疑問としてよく挙げる事なのですが)ゼロ年代のアニメやコミック、ライトノベル作品を見た時、主人公の両親が登場しない作品が異様に多い。海外など遠い場所に言っていたり、死別していたり、そもそも説明すらなかったり。
 キオ世代、すなわちゼロ年代の若い世代にとって、父アセムがいない物語世界というのは、ある意味で原風景のようになってしまっているのでした。
 その結果かと思いますが、90年代後半くらいから、主人公の能力が父親ではなく、祖父や祖母に与えられたものであると設定される物語も格段に増えたように思います。
 まぁ、私が思い浮かぶのは90年代に人気を博した推理コミック『金田一少年の事件簿』の主人公が、じっちゃんの名にかけて謎を解いたりしてたな、くらいですが。あとは『舞‐乙HiME』の「ばっちゃが言ってた」くらいか(ぇ


 で、問題はその祖父なのですが。つまり、キオの祖父、フリットです。
 とりあえず、初登場時のインパクトが洒落になっていません。アセム編では、連邦軍総司令として威厳ある姿を見せていた人が、



 こんな胡散臭い格好の爺さんとして登場しますw
 AGE-3のドッキングを阻止に来たダナジンの攻撃を煙幕で回避したり、腕は落ちていない様子。というか、



 コアファイターから走行中のトラックへ飛び移る、などというハリウッドアクションばりの無茶までやってくれます。
 アセム編の時点で既に、メカニックとしての開発力からMS操縦、指揮官能力までが超一流という超人ぶりを発揮していましたが、それにこんな身体能力描写までついて、老齢フリットさん、ますます超人ぶりに磨きがかかっておりますw


 そんなフリットの導きで、ガンダムに乗り敵を撃破したキオ。
 父アセムの「戦争なんかない世界を見せてやりたい」という最後の願いと裏腹に、戦争の只中へ入って行く事になりますが……。



 次回、オリバーノーツでの戦闘の後半になります。
 今回の解説記事で触れた事と関連・補完する話題の多いので、早めにアップしたいところですが……まぁ、とりあえず気長にお待ちください。




※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次