機動戦士ガンダムUC 第7巻



 なんだかんだで7巻目。
 実は、そろそろ読むのやめようかなーとか思ってました。他に読みたい本もいろいろあるしなーとか思いつつ。しかし月末の資金難の中、金額に比して読書時間の長いもの(長持ちするもの)を探したら結局読むことに(笑)。


 なんでそんなテンション下がってるかというと、私は基本的にあまり、「ガンダムvsガンダム」、ガンダム同士が戦うってシチュでは燃えられないという趣味の男なんでした。前の巻の末尾で黒いユニコーンが登場したので、なんかちょっとテンションダウンしたっぽい。


 で、読み進めるわけですが、何と言うか……ノドに小骨が刺さったなんてもんでなく、煮え切らないったらありゃしない。
 私の中で決定的になったのは、《ガランシェール》がジオン残党たちに声をかけて寄せ集め混成部隊を作った、そこでザクIスナイパーのパイロットが行った演説を読んだ時でした。
 ガンダムものにおいて、「ジオン残党軍の決起」というのは、言わばシリーズの花形なわけですよ。みんな大好きなネタなんで、否が応にも盛り上がるところです。
 ところが、読んでいて全然、私の中で盛り上がらないんですね。むしろ違和感ばかり先立つわけです。何が理由かって、彼らの作戦目的が“箱”だからです。

しかし、作戦目標たる敵新型モビルスーツには、『ラプラスの箱』なる機密情報が隠されているのだという。そこには連邦を覆す情報が隠されており、連邦のみならず複数の勢力がそれを追っているのだという。俄かには信じがたい話だが、自分はこれに賭けてみようと思う。

 そのジオン残党の人は仲間に通信でこう呼びかけるんですが、私はここを読んで、決定的に話の盛り上がりから脱落しました。
 そんなデマ同然の情報だけで、命かけられる奴なんているわけないじゃん、と。
 ここまで、7冊を数えているにも関わらず、『ラプラスの箱』とやらが何を指すのか全く触れられないままです。読者の興味を引くとか、もはやそんなレベルではなく、単に中心不在の話という感じにしか感じられなくなりつつあります、私の場合。
 しかも、リディとかその親とか、地の文でくどいくらいに「結局は箱の犠牲者か」「結局は箱の呪いか」とか繰り返すんですよね。前巻のダカールの事件もこの一言に総括されて、そのたびに私はムカつくw 読者置いてけぼりで作中人物だけで納得してんじゃねーよ、という。
 正直、それがどんなにスゴイ代物だろうと、内実が100パーセント分からない、名前だけのものがこれだけ影響力を持つというのが、もうリアリティ感じられないんだなあ。最初のうちはそれでも気にならなかったんですが、あまりにも長々とその一本調子で来すぎたと感じます。


 ジオン残党の決起を作品に組み込むなら、なんで素直に「ミネバ・ザビ奪還作戦」にしなかったんでしょうね? 
 これだったら、ジオニストの読者たちも素直に燃えられたと思うんだな。もう世俗に戻ろうと思ってた残党兵たちを集められた理由としても納得できるし。せっかく現場にミネバいたんですからねえ。ザビ家の最後の姫を奪還するために、寄せ集め部隊でももう一度だけ決起するっていうなら、もっと分かりやすくなったと思うんですけど。



 いや、というのも私、この後のザクIスナイパーの人の活躍っぷりがけっこう好きだったもので。職人芸的な狙撃技術で、はるか性能で勝る連邦最新鋭部隊を翻弄するなんて、渋くて良いじゃないですか(笑)。この辺の展開はけっこう好きだったんです。
 けど、部分的に良くても、結局全体の流れにうまく活かせてない、という風に思えてしまうのが、一貫してこの『ガンダムUC』の惜しいところで。


 ともあれ、そんな感じでお話は進み、舞台は上空のガルダ級へ。
 この前後の展開で、リディさんがバナージと敵対する形になったのは、面白くなって良かったと思います。ただ、完全に敵になりそうかというと、その辺も微妙なのかなぁ。よくわかりませんが。


 マリーダさんについては、もはや私の中で「プルクローン」という像を結んでいません。単にマリーダというキャラでしかない感じ。だってプルの面影も、「プルですよ」っていう主張も全然感じられないんだもん。
 もし『ZZガンダム』のプルなら、その延長上にいる存在なら、ミネバに拒絶されて打ちひしがれてるリディには同調していると思うんだな。マサイ・ンガバに強い共感を示して涙を流したように、そういうリディの気持ちには何か反応したと思うんですけど(私が書くならそうしたろうと思うんですけども)、福井プルは「めそめそした奴が、割り込んでくるんじゃない!」で終わりですからねぇ。


 で、ジンネマンさんはマリーダさんの父親なんだそうだ。
 ガンダム世界においては基本的に、シーブック・アノーの父親以外はすべからく「父はロクデナシ」と相場が決まっているので、こういう展開は目新しいというか、違和感があるというか。
 まあ福井氏が子持ちですし、読者層も初代ガンダム世代=父親の世代だからこうなるんでしょうかね。
 しかしそうすると、なんだ、とりあえず私は、ジンネマンさんに「娘さんをください」って言いに行かなきゃいけないのか?(なんでだ



 閑話休題
 空中に身を投げたミネバを、ユニコーン=バナージが救出に行くシーンはすごく良かったです。そこはのめり込んで読んでました。『F91』のラストも思い出しますが――うん、やっぱりガンダムはそう使うものだよね。


 ブライトの描き方については、そんなに違和感は感じませんでした。
 もっとも、艦を危険に晒して、さらにガランシェールユニコーンを収容して宇宙に上がるのを見越してネェル・アーガマを配しておく……というようなやり方をする人かなぁと考えると、少し首をひねってしまいますが。
 ていうか、そもそもどういう目論見だったんだ? 最後の方を読むと、ユニコーンをガラシェール側が回収するところあたりまで期待していたように読めますが……んー、あまりにも無茶な気がします。せめて、トライスター辺りにこっそり「ユニコーンの離脱を援護しろ」とか手回しして命じておいた、というならまだ分かりますが、あんな大混戦で狙い通りにいく、とブライトが楽観視していたというのはちょっといただけません。
 大体、艦内に潜入してきたガランシェールの兵が、派手に破壊工作やクルーの殺害などに走らないという保障はどこにも無いわけで。場は戦場ですから、流れ弾ひとつでもミデアに当たったら取り返しがつかない(マーサとミネバが乗ってるわけですし)。
 どうも、ブライトが甘受する計画のように思えないけどなぁ。どうなんでしょうね。


 あと、わりとどうでもいい事ですが、なんか文体が一本調子なのも気になるところです。各登場人物の思考や感情を簡潔に書きすぎるというのもあるんですが、「○○○○か、と思う体が震え」とか、なんか「《考えたこと》と思う体が《状態》し、《人物名》は《行動》した」というような定型文が頻繁に出てきて、なんか引っかかるんですよね。
 他にも、まったく同じ表現が出てくるのも。出てくるたびに「ビームライフル4発分のエネルギーを発射する」と枕詞みたいに前置きされるビームマグナムとか、艦艇のブリッジにビームの至近弾が来ると必ず「防眩フィルダーでも減殺しきれない光が」っていう表現が出てきたり(1巻から通算で3〜4回はこの同じ表現が出てきたはず)。本職の作家なんだから、もっとボキャブラリー無いのかよ、と思ったりもします。
 その辺も含めて、なんかあまり練られた文章じゃないなぁ、と思いながら読んでいます。まあ確かに刊行ペースがかなり早いんで、細部に時間をかけてる余裕がないような状態なのかも知れませんが……ちょっと気になるんですね。読んでて。


 んー。なんかその辺も含めて、どうも残念な部分が目立ってしまう感じがしてあまり手放しで褒められません。好きなシーンもあるんだけどなあ。
 ……まあ、ここまで読んでしまったら、今さら止めても損した気分なので最後まで読みますけど。多分。きっと。おそらく。
 なんだかなぁ。