近畿旅行2009 3日目 京都比叡山


 もう旅行から帰ってきて二週間になってしまう……。むむむ





 旅行3日目。ベッドで思う存分眠ったおかげで、だいぶ体力は持ち直しました。
 そんなわけで、のんびりして朝8時ころチェックアウト。荷物を昨日と同じコインロッカーに預け、まずは知恩院へ。



途中、祇園の商店街にて。スチャラカで良いなぁ(笑)。


 本来、この日は比叡山に行くという予定しかなかったのですが、昨日見つけて入れなかった知恩院を急きょ予定に入れたのでした。知恩院は浄土宗の総本山、比叡山と関係ないようですが、浄土宗開祖の法然は若かりし頃に比叡山で修行したから、まあ関係があるということで。
 まぁ、後で思い返せばこれが伏線だったんですけど(何



 そんなわけで、前日も通った天下一品の前を通って、再び知恩院へ向かいます。



参道途中にて。伝統的な瓦屋根の家から林立するアンテナの異様。



そしてこれが、知恩院の門。下に写っている人間と比べてもらえれば分かると思いますが、めっちゃでかいです。子供のころ見た特撮のシンドバットの映画思い出すくらいに。
 この知恩院は、徳川家康の篤い崇敬を受けて発展したそうで。いやはや、時の権力者からの援助を受けるとこうも凄いものかと(ひどいコメント
 感心しながら中に入って行きます。これがまた、本堂までの階段がどうにも。一段一段が高すぎて登るのに苦労しました。
 ようやくのことで本堂に到着。といっても、境内に平気でバスが何台も駐車されてる上に、講堂の中はこれまた修学旅行生でいっぱい。軽くお参りだけして早々に講堂からは離れる事にしました。



その講堂にあるお賽銭箱。燦然と輝く葵の御紋。


 奥の方へ行くと、ちょうど池に蓮の花が咲いていました。浄土宗のお寺の境内で見る蓮の花というのもまた大変よろしく。



となりでどこかのおじさんも同じ構図で撮ってたけど、せっかくだから構わず撮影。


 さらに奥へ上って、鐘楼を見る。ここの鐘が、一目見て圧倒されてしまいました。すごく大きい。



日本三代梵鐘にも数えられるという、知恩院の鐘。高さ3.3メートル、厚さ30センチ、重さ70トン。つい、けっこう長い時間眺めてしまった。
 またこの木造の鐘楼が、70トンを支えているというのもよくよく考えてみると、凄いというか何と言うか。
 これは確かに一見の価値がありました。


 鮮烈な印象と共に鐘楼を後にし、方丈庭園へ入りました。
 ここが、今回の京都旅行で見た庭園の中では一番だったかな。
 日本庭園を見に行く時などは、1人旅である事がありがたいと感じたり。こういう場所は、静寂の中で、自分の気の済むまで眺めつづけるのでなければ、本当に鑑賞したことにはならない気がします。もしくは、それに近い状況を暗黙のうちに作ってくれる、理解のある同行者、かな。少なくとも、団体でわらわら来て眺めただけだと、ちょっと物足りなく感じそうな気がします。
 とにかく、静かに、心行くまで見られたのが良かった。朝方に少しだけ雨が降ったらしく、その雨だれが屋根から落ちてくる水音の中。時折聞こえてくる鳥の声。
 特にこの方丈庭園は、普通の庭園に比べて、すぐそばに山肌が迫ってるせいで高さ、立体感のある景観になってて、そこが珍しく。面白い感じでした。
 ちょうど私がここを離れたタイミングで、修学旅行生たちがどかどかやってきたようだったので、そういう意味でもラッキーな見学だったかと。
 しかし良い写真は撮れなかった。


 庭園を出て、最後にもう一度境内を一回りして、そろそろ次へ行くことに。



最後に1枚。この日も天気に恵まれました。


 知恩院を出て四条河原町へ戻る途中、なんとなくもう一度八坂神社を通ったら、



茅の輪が据え付けられている最中でした。牛頭天王説話にも登場するのですから、いわば本場の茅の輪って事でしょうか。これは良い物見れたかも知れない。
 しかし、祇園祭の一か月前だったので、せめてその気配だけでも感じられないかなと思ったのですが、そういうのはあまりなかったですね。まあ仕方ないか。


 さて、いよいよ比叡山へ向かいます。
 京阪電鉄出町柳へ出て、そこから叡山電鉄。しかし、3回京都に来て、3回とも叡山電鉄に乗るなんて人も珍しかろうなぁ……。
 さらに叡山電鉄からケーブルカー、ロープウェイと乗り継いで、比叡山山頂へ。



ロープウェーからの眺望。またこんな高いところまで来て……。


 同乗したおばさんたちのかしましいおしゃべりを聞きつつ、山頂へ到着。
 フラワーガーデンだか何だかがあるのを華麗にスルーし、延暦寺を目指します。
 東塔まで出るバスもあったのですが、案内板によればたかだか2キロ。天気も良いし、やはり山歩きに心ひかれたので、歩いて行ってみました。



やっぱり多少は山歩きをしてから入った方が、感慨も深いよね、延暦寺(ぉ



ずんずん歩きます。山の中の景観って落ち着くなぁ。


 しばらく行くと、休憩場所のような、ちょっと開けた空間がありました。ちょうどベランダ状に張り出したようなところで、眼下に広がる洛北の町並みもクリアに見える絶好の場所。
 お弁当買ってここで食べれば良かったとちょっと後悔(笑)。けど、この空間を独り占めして休憩できるだけでも、歩いてきた甲斐があったというもので。



とんでもなくピンボケの写真ですが、この黒い点が、なんかものすごく大きい鳥だったんです。比叡山にはタカも生息してるらしいから、それだったのかも。
カメラで追っかけまわしてもちっとも撮れませんでしたが、すぐ頭上まで来たんですよ。肉眼で野生の猛禽類を見られる日が来ると思ってなかったので、ちょっと感動。さっさと撮影を断念して、もっとじっくり眺めればよかった(笑)。


 なおも歩けば、やがて延暦寺の堂宇も見えてきます。



山王堂。バス移動してたら多分見れない場所。


 さらにちょっと歩いて、ようやく延暦寺東塔に到達。
 戒壇院を見ても頼豪鼠の逸話しか思い出さないミーハーですが、気にせず境内を見てまわる。
 今回は時間があったので、国宝殿も見る事ができました。重要文化財のオンパレードで、だんだん感覚が麻痺してきますね(笑)。あと、さすがに五大明王などが並んでる一画は迫力がありすぎて怖いです。
 この日私が訪れた時の特別展示が、良源に関するもので。先日の大阪・四天王寺で見た元三大師です。まぁ最初に知ったのは京極夏彦『塗仏の宴』でしたが、けっこう関心はあって。延暦寺の奥、横川の方で元三大師のお札が売っているはずなので、それを入手するのもこの日の予定の一つでした。昔一回買ったはずなんですが、紛失してしまったのです。
 ただ、少々急がないといけません。ロープウェーの最後の便が6時、それまでに撤退しないと徒歩で下る羽目になります。


 休憩所のお蕎麦屋さんで山菜そばを食べ、講堂、根本中堂を拝観。けど根本中堂の写真撮ってないな。
 境内に散在する、比叡山出身の高僧たちの事績を説明した紙芝居風の看板を眺めつつ。さて、この後西塔、そして横川をまわるつもりです。
 これもやはりバスがあり、特に横川へは5キロ以上あるそうなので、これはさすがにバスを利用せざるをえません。しかしまぁ、西塔までなら歩きで行けるか、と高をくくったのが間違いの始まり。


 西塔まで無理やり歩きとおし、常行堂と法華堂(渡り廊下でつながっており、合わせてにない堂と言う)や釈迦堂に拝観。常行堂の裏戸側には摩多羅神が祀られてるという話なんですが(そういうマイナーな事ばかり知っている)、当然建物の外からは見えず。たしか前回来た時もそれを気にして常行堂のまわりを一周したはずw



 さて、今回比叡山に来るにあたって、念頭においていた事が一つありました。
 先日田中貴子の『あやかし考』という本を読んで、比叡山の黒谷という場所に、鎌倉時代末期から「黒谷派」と呼ばれる異端の禅律僧たちが集っていたという話を目にしました。さらにその黒谷では平安時代法然も修行をしていたとか。
 黒谷派の僧たちは、延暦寺において掟破りに当たる黒衣をまとって活動していたとか何とか。
『あやかし考』での黒谷派への言及はごく短くて、正直どんな集団だったのかを知るにはちょっと物足りない内容だったのですが、しかしすごく印象には残りまして。もし余裕があったらそちらも覗いてみたいと思ったりしていたのです。


 西塔の釈迦堂の横にあった、「法然上人修行の地 青龍寺」という看板にふらふらと従って行ってしまったのは、多分そういう事情もあったのでした。
 何より、朝気まぐれに知恩院に寄ったのがフラグだったのに違いない(笑)。どうもこの日は法然上人に導かれてしまったようで……。


 そもそも、「こっちですよ」と矢印が出ているのに、そっちにちょっと行っただけで、藪をかき分けなきゃ進めないような茂みに道が突っ込んでいってる時点で、当然引き返すべきだったのですが。
 そういう時に限って、「行くだけ行ってみよう」と妙な蛮勇を発揮するのが私。



がさがさかき分けた先にあった何か(ぉ
正確には「延暦寺相輪塔」というそうで、明治時代の再建ですが重要文化財。なんとなく、ここまで来て写真撮る人も多くはなかろうと思ったので撮ってみた。そんな撮影動機。


 ここからさらに道は奥へ続いていました。なんかどんどん山の中へ。そして道端に元三大師堂への案内矢印を示す石塔が立ってたりしてちょっと呆然とする私。ちなみに横川までの距離は5キロ以上、徒歩で1時間15分とか出ていました。時間は3時過ぎ。下山までの残り時間を考えると黄色信号。
 しかし引き返すのが面倒で結局行ってしまった。
 なんだかんだで、晴れているおかげで歩くのは気持ちいい。



途中で1枚。切株から新しい命が芽生える的な、そんな私らしくもない写真。


 しばらく黒谷青龍寺のことは忘れて、横川目指して歩いているつもりだったのですが、やがて道は二股に分かれ。横川に向かう道と、黒谷へ向かう道。
 ちょっと迷って、結局黒谷方向へ歩きはじめました。まあ、もともと黒谷の話を聞いて、今回の京都行きでも比叡山に登ろうかという決意をしたわけですし。法然上人のお導きだ! と勝手に決め付けて、ずんずん行きました。


 さて、さきに書いた通り、黒谷派の僧侶たちは延暦寺からすれば異端だったわけで、彼らの根拠地だった黒谷も延暦寺から離れた位置にあったと、『あやかし考』には書かれていました。


 ――本当に離れてました(ぉ
 まさに、本にあったその一文を確かめるために歩いたようなもの。進んでも進んでも辿り着きゃしません。どんどん森の中を下って行きます。まあ一本道でしたし、ところどころに使い古しのプラスチックのお皿みたいなのに「青龍寺」と書かれた看板があったので、自分が遭難したのでない事がかろうじて確認できるくらいの状態。


 結局、30分くらいは歩いたんじゃないかしら。



ようやく到着。



正面から1枚。


 小さなお寺でした。本当に人知れず建てられた感じ。若かりし法然上人の像があったりもしましたが。
 話では奥の方に滝があるそうで、実際滝の音が聞こえてくるのですが、そちらには一般の観光客は行けないようでした。見たかったんですが、まあしょうがないかな。


 で、せっかくだから少し上がらせてもらって、お賽銭をいれて、法然上人を思いつつ手を合わせてみたり。お導きいただいたのなら、感謝と。



 結局、現地に着いたからとて、そんなに収穫があったわけではありませんでした。一番の収穫は、延暦寺西塔から黒谷までの距離を自分の足で実地につかんだこと。


 さて。それで、ここからまた延暦寺まで戻るとなると、非常にかったるいわけです。ここまでずっと下って来たので、戻るとなると上りになりますし。
 で、青龍寺の前に、親切にも看板がありました。「ここから下る道に入りますと、1.7kmほどで八瀬と大原の間のバス亭に出ます。下までは一本道です」と。
 こうなれば仕方ない。そちらへ向けて下りはじめました。


 しかしこれがまた、何と言うか……。



……道。


……道?



 ……オーケーガイ、こいつは確かに道だ。しかし1本道というより、0.5本道というか……。
 実際、傾斜はやけに急だし、足場は悪くて不規則だしで難儀しました。正直、この道に限っては下るより上った方がまだ楽と思えるくらい。
 もしここで、足でも挫いていたら本気で生命の危険まで視野に入って来るような場所でしたが、まああんまり心配せずに進んで行ってました。なんたってこの日の私には、法然上人がついております(笑)。


 しかしこんな悪路だと、1.7キロほどの道がやたら長く感じます。汗だくになりながら、とにかく延々と下り続け。いやはやケーブルカーとかロープウェイとか、なんて偉大な乗り物なんでしょうね。



途中にあった看板。いや、こんなところにバイク乗り入れる奴いないからw
オフロードバイクでも無理だよここ。多分。


延々下り続け、ようやく人家の屋根が見えた時の安心感ったらなかったですね。いや本当に、半ば遭難したような気分でしたし(笑)。



ヒャッハー、人里だー!(黙れ


 幸いなことに、すぐ近くにコンビニも発見し、そこで飲み物を補給してようやく人心地がつきました。文明ありがたいなー。
 この時出た道が、ちょうど高野川のほとり。川に沿って伸びている道でした。そばに寄ってると、目の覚めるような清流が流れております。
 ちょっと心ひかれまして。近くに川岸まで降りられる道もあったもので、こっそり隠れて……



私なんぞの小汚い足を失礼しますよ。こっそり隠れて川に足を浸してみた。
しかし、水が冷たくて気持ちいい……という領域を超えて、冷たすぎて足を浸し続けていられないという計算外(笑)。その辺、お話のようにはいかないもので。
 けどここで川の水で軽く顔を洗ったりするだけで、けっこう生き返りました。


 で、バス亭もあったものの、川岸の景色があまり綺麗なんで、徒歩で移動。学生の頃は、祖父の車でよく窓からこういう景色を見てました。両側に山並みを眺めながら進む道。写真を撮るのは忘れてしまいましたが……。
 こういう、特に名前もない、さりげない田舎道が美しいって、当たり前なんだけど大切なことなんだよなぁ、とか思ったり。そこを忘れて、観光名所だけ残してあとはハゲ山にしちゃったりしたら目も当てられない。そういう意味では、日本はまだ良い国だよなぁと思う。まあここに住んでる人達には、それはそれで不便も色々あるでしょうけど。
 ま、戯言ですけどね(ぇ


 高野川沿いをのんびり歩いて、ようやく叡山電鉄の八瀬駅へ到着。
 正直、時間調節をもっと上手くやれば大原の方も見られたかも知れないわけで、時間配分に反省も残りましたが。けどこの川沿いの散歩も楽しかったなぁ。
 ……それよりももっと由々しいのは、2200円だったかかけて、叡山電鉄、ケーブルカー、ロープウェイ、さらに延暦寺内のバスまでセットになった一日拝観チケットを買ったのに、結局その大半を使わなかったという状況の方でした(笑)。相変わらず私の旅行スタイルだと、この手のルート指定のチケットと相性が悪すぎる。


 時刻は5時過ぎ。しかし漫画喫茶宿泊の厄介なところは、できるだけ遅い時間に入らないといけないことで。こんな早い時間に入ってしまうと、そこらの宿に泊まるのとあまり変わらない金額を払う羽目になります。もうちょっと色々見たりして時間をつぶしたいところ。
 そんなわけで、出町柳下鴨神社に少し寄り道。


 ちょうどこの京都で、森見登美彦の『夜は短し歩けよ乙女』を読んでいたので、下鴨神社への参道、糺の森は舞台訪問にもなりました。心愉しき哉。
 この糺の森は、古代の植生を今に残している場所で、世界文化遺産でもあるとか。
 しかしそうは言っても、普通にジョギングしている人もいるし、ベンチでリラックスしてるおじさんもいるのが良いですね。世界遺産でくつろげるなんて贅沢な話ですが(笑)、そういう史跡が今も生活の一部に自然に組み込まれてるというのが、おおらかでいいじゃないですか。



糺の森


 やがて下鴨神社こと賀茂御祖神社に到着。中を一通り眺め回っていたら、禰宜っぽい人(?)が来て、もうすぐ門を閉めますよーと言われたので、写真を撮る暇もなく退散しました。やっぱり遅い時間に来てもあまりゆっくりは見られませんね。まあ仕方ない。



仕方ないので表側から1枚だけ、名残惜しさに撮影。まあでも、中を一回り見て回る事はできたので、良しとします。
糺の森を戻って、出町柳から根拠地・四条河原町へ。


 時間が早かったので、夕飯を食べられるお店を探しながら先斗町の路地裏に入って行ったりしてみました。ここも、上記『夜は短し〜』の舞台だったところ。



これで「ぽんとちょう」って読むんですね。本で読んでなかったら、ぜったい読めなかったな。


 まあ飲み屋街なので、お酒をあまり嗜まない上に1食予算1000円以内の私には縁がないお店ばかりでしたが、まあでも眺めて雰囲気を楽しむ分にはタダです。
 実際、雰囲気のある細道で、歩いてるだけでもなかなか楽しく。



路地裏で発見。貝殻が山積みになってました。何だこれ、貝塚?(違います


 そうして散々目に御馳走をいただいたところで、やおら松屋に入って豚丼を食べる私でありました(ぇ
 京都の豚丼は、東京のよりほんのちょっとだけ、薄味でした。まあでも、多分意識してなければ分からないくらいのわずかな違い。松屋マスターの私でなければ気付かない程度の差でした(何
 本当は、職場の同僚に「大阪京都奈良、三都の松屋食べ比べしてくるよ! なんて贅沢なんだ!」とか言ってたのですが、大阪では松屋で食事出来なかったし奈良にも行けなかったので(笑)、せめて京都では。


 さて。資金の関係で、翌日帰るか、もう1日観光するか迷っていたのですが、もう次いつ来られるか分からないという事情もあり、また思っていたより資金的にも余裕がありそうだったので、もう1日京都を回る事にしました。
 そんなわけで、翌日の予定をぼんやり考えながら、漫画喫茶に入ってこの日は終了。
 とりあえず、明日は平らなところへ行こうとだけ、固く決意したのでした(笑)。


 続く。