和泉式部



 私はあまり和歌の素養があるわけではなく。
 特に恋の歌というのは良く分からない朴念仁でもあり。そういう自分が、なんで和泉式部に魅かれる部分があるのか自分でもあまり良く分からないのですが。


 ただ、一方で仏教に虚心に惹かれていくような部分もあって、何か共鳴するところが私の中にあるのかなとも思います。


 本書は歌人馬場あき子による和泉式部の評伝、および歌の鑑賞といったところで。この方には『鬼の研究』という、お化け畑の人にはおなじみの著作もあって(笑)、そういう意味では入りやすい(?)本だったりします。


 和泉式部というと、藤原道長に「うかれ女」と扇子に悪戯書きされたというように、多情な女性というイメージが一般的である、とした上で、しかしその心情の純なところに触れようと、様々な歌を巡っていく構成になっています。
 私自信に、その一般通念の方の和泉式部像があまりなかったので、この辺、微妙に論旨にアクセスし損ねているのですが。しかし、読み進めるうちに、自分の中でも納得できる部分があるかな、という感想が募ってきました。


   男に忘られて侍りける頃、貴ぶねにまゐりて
    みたらし川に螢のとび侍りけるを見て詠める


 物思へば沢の螢も我身より あくがれ出づる玉かとぞみる


    御かへし


 奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の 玉ちるばかり物な思ひそ


    此の歌はきぶねの明神の御返しなり。男の声にて和泉
    式部が耳に聞えけるとなむいひつたへたる。

 他にも、本書では触れられていませんが熊野権現とのやりとりもあったそうですが、自己の内面を深く見つめすぎるあまり、シャーマン的に神秘体験めいた事をしてしまうような、そういう部分もあった人なのかも知れません。
 筋道だった歌の批評などはできないが、インスピレーションだけは褒めざるを得なかった紫式部和泉式部評なんかを思っても、何となくそんな人だったのかなというイメージがあります。


 他にも本書で初めて知った、不思議に印象に残る歌も多く。なかなか得るものの多い読書でした。
 何故か我が家に、古本で買った新潮日本古典文学集成だったかの『和泉式部日記』もあるので(笑)、そちらもいずれ読んでみようかと思います。