くくりひめ


くくりひめ

くくりひめ


 もうあんまり長期間放置状態なので誰も続きは待ってないでしょうが、一応小説SNSに、日本神話の菊理媛を題材にしたライトノベル的なものを投稿しておりまして。
 →これ
 で、そうしたらたまたま、同じ菊理媛を題材に取ったらしいタイトルの小説が出てるのを知りまして、すわネタがかぶったかと、まぁ色々思うところあって買って読んでみたのでした。
 一応、電子書籍大賞という賞をとって出版された模様。


 ……で、まぁ、そういう経緯で読んだので、多少辛口気味に偏った目で読んだかも知れないので、以降の感想を読まれる方はご注意を。



 とりあえず文体がね、体言止めを多用し過ぎていて、少し単調な印象がありました。もっとも、この辺は初めての書籍化で、しかもネット出身の作家さんであればそういう事もあるだろうという事で、まあ許容範囲かなと。実際、読み進めるうちにだんだん慣れて気にならなくなっていきましたし。


 問題は、話の道具立てでしてね。久しぶりに、読んでいて「ゲームっぽい」という印象の物語を読みました。


 もっとも、これって5年前かそれ以前のライトノベルの「ゲームっぽい」感じとはまた違っていて、それが面白いという部分はありました。
 たとえばこのブログで取り上げた中だと「お・り・が・み」とかがそうだったんだけど、キャラクターの強さや能力を数字で出してくる感覚が「ゲームっぽい」だったんですよ。登場人物が「レベルいくつ」といった強さ・成長具合の数値を具体的に作中に出しちゃったりね。
 これはもうちょっと巧妙にやろうとすると、Fateシリーズみたいに「魔力耐性B」とかいう表記になっていくんだけど、最近はどうなのかな、相対的にこういうのは少なくなってきたんじゃないかな、という気はします。
 一方この『くくりひめ』という話だと、そういう数値化は出てこないんですよ。それは最近のゲームでも、ドラクエみたいにHPもMPも与ダメージも全部数字っていうのが少なくなってきて、FPSゲームっていうの? 実際にキャラをアクションで動かしていく体感の部分が強化されてきたことと連動してると思うんですけど。私はやってないけどモンハンとか?
 一方、じゃあ何がゲーム的なのかというと、これから取り組むべき「ミッション」と、その「成功条件」「失敗条件」が全部明示されているところなのでした。
 この『くくりひめ』だと、中盤、主要登場人物の一人が一種の呪術にかかって、その解除をしなければならないという展開になるのですが。その中で、アイテムとして過去の呪術調査のレポートみたいなのがあって、それで情報を得ながら主人公たちが呪いを解いていく、という事になるんですけど。
 そのレポートの内容がね……たとえば、「黒死蝶の呪いが発動する条件」。

一、対象が黒い蝶に対し、死のイメージを持っている。
二、黒い蝶(黒揚羽蝶など)に白色の斑点(インクなどでよい)をつけておく。
三、対象に黒い蝶を見せ、その間に対象を気絶、または眠らせる。
四、倒れている対象の首から上、肌の露出した部分に蝶を止まらせる。
五、対象が目を覚ましていない状態で超が鱗粉を肌の上に落とす。

 これらが条件である事から、鱗粉を落とさせないで事態を収拾しよう、って話になるんですが……。


 この、やたら細かく明示された情報。マニュアルチックな手順を列記する手際。何とも言えない感じで、何かに似てると思ったのですが、すぐに思い当たりました。ゲームの攻略本だよこれ。
 たとえば、バイオハザードみたいな3Dでマップを探索するゲームなんかで、時々謎解き要素みたいなので、この道具とこの道具を組み合わせて、みたいなミッション課される事がありますけど、ちょうどそんな感じで「与えられたミッション」を解いていく展開になってる。それが、ここ数年のゲームの感覚にすごく近いと思いました。
 で、昔のゲーム的な、数値を明示するタイプの感覚がドラゴンボール的な力比べのパワーアップ合戦になるのに対し、ミッション攻略型のゲーム的感覚では、ジョジョとか『とある魔術の禁書目録』みたいな能力バトルもの(相手の能力の弱点を探して攻略する)に親和的になりますし、事実この作品のバトルシーンもそうなっています。


 ざっと、そういう傾向を持った作品なのですが。
 問題はその先で。そうした設定、バトルシーンの描写などが、ものすごく古典的で有り触れた、「呪いの日本人形」とかそういう類いの、土俗的民俗的な道具立てや舞台背景と馴染んでいるかと言うと、全然馴染んでないわけですよ。とある童謡を唄うと特殊能力発動! みたいな。



 なんだかんだで、こういう話って作者の引き出しの多さが勝負なので、この作品に関してはかなりダイレクトに「引き出しの少なさ」がウィークポイントとして出てしまっていると思うわけです。たとえば、儀式の生贄が両手を左右に広げて手のひらに何か刺されて、とかってそりゃキリスト教のファクターであってさ、みたいな。物語の傾向や雰囲気に合った道具を調達しきれてない感じがすごくしました。伝奇もののライトノベルの作者がさ、そこで力を注がないでどこに注ぐんだよ、って思ってしまうわけですよ(笑)。
 タイトルが『くくりひめ』だけど、特に神話の菊理媛を強く意識した場面や要素もあんまり感じられなかったし……まぁ、その辺は元ネタをどこまで出すか、作者の作風によるのも確かなんですけれども。


 作中の能力者の一人が、オルゴールの音で幻覚や過去の情景を幻視させるっていう技を使うんですが、その技の名前が「ビジョン」で。作品の後半、山奥の村で土俗的儀式を守り続けてる村の老婆が「お前、ビジョンを使ったのか?」とかいうセリフを言うんだけど、そこでカタカナ語が出て来るのって全体の雰囲気から見てどうなんだよ、みたいな。


 そんな感じで、どうもいろいろ細かい所が気になって、純粋に楽しめたとは言えない状態でした。
 あるいは、こういう「作品全体の統一感を!」みたいな物語の感覚自体が今の時代には古い、という事もあるのかも知れませんけどね。少なくとも私は気になりました、という事で。



 関係ないですけど、菊理媛の「くくり」を、「括り」の意味に解釈するのってそんなに一般性ありますかね? あれって『宗像教授伝奇考』のでっちあげ説じゃなかったのか?(笑)
 まぁ私も自分の作品でこの解釈を取ってるんで人の事は言えないんですが、この作者さんはちゃんと調べた上でこの説取ったのかなぁ、というのがちょっと気になったりはしました。
 なんか、岩波文庫の『日本書紀』の注によると、さらに古代の読み方では「こころひめ」と読んだ可能性もある、とかで。また、日本書紀で菊理媛が登場した直後にイザナギが禊ぎで身を清めている事から、くくりは「潜り」で、水をくぐらせて清める意味じゃないかという説もあるそうです。
 少なくとも私は、今までのところ本職の学者さんが「括り」説を取ってるのを読んだことがないのですが……情報お持ちの方がいたら教えていただきたいところ。
 もしこの作者さんも、『宗像教授』を読んで「括り」の意味を取り入れたとしたら……罪な人だわ、宗像教授って(何



 とりあえずそんな感じです。うん、まずは自分の作品をさっさと完結させようと思いました(ぉ