機動戦士ガンダムAGE 第22話「ビッグリング絶対防衛線」

     ▼あらすじ


 ついに、地球連邦軍総司令部ビッグリングへの大規模攻撃が開始される。ヴェイガンはXラウンダー部隊「マジシャンズ8」を実戦投入、連邦軍は大きな損害を強いられ、アセムやウルフも苦戦するが、フリットとアルグレアスの指揮によりこれを退ける事に成功した。
 対するヴェイガンは、ゼハートとデシルの兄弟が出撃し、アセムたちを圧倒する。これを危険と見たフリットは自ら出撃し、デシルとの因縁の戦いに発展していく。しかしその間にヴェイガン側の戦力消耗が限界を超え、ゼハートたちは撤退を余儀なくされたのだった。



      ▼見どころ


    ▽Xラウンダー部隊



 この回から、ゼハート率いるヴェイガンはXラウンダー部隊「マジシャンズ8」を投入して来ます。
 元々ヴェイガン側は、フリット編最終話に出てきたように「ミューセル」と呼ばれる特殊なヘルメットでパイロットのXラウンダー能力を引き出す方策をとってきたのですが、マジシャンズ8は敵味方ともに「Xラウンダー部隊」と呼称されているので、おそらくゼハートなどと同じ、元からXラウンダー能力の高いパイロットによって構成された部隊なのかなと思われます。
 その出撃に先立ち、『ガンダムAGE』全体でも特に印象的なやり取りが、ゼハートとメデル・ザントの間で交わされます。



「イゼルカント様は言われた。Xラウンダーは人類の進化ではなく、むしろ退化である。人は再び、理性を持たぬ野獣へ帰っているのだ、と」
「それは、Xラウンダーの1人であるあなた自身も否定されるものですな」
「いや、そんなことはない。今はまだ、その力が必要な時なのだから」


 ここまで、解説記事の中でXラウンダーとニュータイプを対照比較する考察をいくつか続けてきました。この両者を仮に重ねて見た場合、上記セリフが意欲的な脚本である事はおわかりいただけるだろうと思います。『ガンダムX』のようにニュータイプの優位性を否定してみせた作品はありましたが、「むしろ退化である」とまで言った事例は、あまり見当たらないからです。


 とはいえ、こうしたセリフが出てくる背景については、特に前回の記事で詳しく解説しました。Xラウンダーという設定は、ニュータイプのそれに比べ、戦闘に特化した能力として描写されており、「誤解無くわかりあえる人々」「人類の革新」といった意味付けはされてこなかったのでした。従って、「理性を持たぬ野獣」という表現に脊髄反射で反発するのは、少し待たないといけません。


 むしろここでは、一足とびに「Xラウンダーは退化」という発言をAGE全体のメッセージとはとらえずに、「イゼルカントがそう認識している」というポイントとして押さえておいた方が良いでしょう。
 そもそもイゼルカントは、「退化」という言葉の意味を誤認しています。生物学的には、退化は進化の対義語ではありません。第7話の解説で書いたように、進化というのはパワーアップや進歩の事ではなく「環境に適応する事」であって、そのために今まで発達していた器官や部位が抑制される事が有り得ます。人間に尻尾の名残だった尾てい骨があったりするように。この「元々あった部位が委縮すること」が「退化」なのですから、つまり「退化」は「進化」の一類型、進化の一部です。
 AGEシステムにおける「進化」は、通俗的な意味ではなく生物学本来の意味での「進化」だと以前書きました。AGEの製作者側には、一応そういう知識はあったのではないかと思います。その一方で、イゼルカントは「進化ではなく退化」と発言している事から、生物学的素養がなく言葉の意味を誤認している事になります。これを脚本のミスとメタに解釈する事もできますが、むしろイゼルカントという人物の描写として解釈する事もできるでしょう。つまり、イゼルカントの「進化論」に対する理解は、それくらいのレベルだという事です。
 だとすれば、「Xラウンダーは退化」という発言にも、少し留保を残しておいた方が良さそうです。


 この話の冒頭、ゼハートが戦う理由として、イゼルカントの語る理想(あるいは野望)についての言葉が提示されます。ゼハートが戦う理由が最初に描かれたシーンとして重要であるとともに、特にキオ編以降スポットライトが当たってくるフェザール・イゼルカントという人物の思惑を探る上でも大事になってきます。



「時代が移り変わろうと、人が愚かであることは変わらない。無益な戦いを繰り返す……いつの日か、この愚かな連鎖を断ち切らねばならん。だからこそ、わたしはこの計画を立案した」
「かつて地球種は、火星圏に移住した我らの祖先を見捨て、人間らしく生きる権利を奪った。そのような愚劣な者から母なる地球を取り戻し、我々だけの新世界をつくる……!」



「そこには戦いなどない。人が穏やかに暮らす素晴らしき世界だ……! ゼハート、わたしとともに夢をかなえようではないか」


 ……これ、冷静に読むと、話のつながりがおかしいようにも思えるのですが……まぁイゼルカントの意図については、のちに物語の中で展開していく話なので、ここでは深くは触れません。


 むしろここでは、イゼルカントが「戦いのない世界」を理想に据えている事に注目しておくべきでしょう。これも、ファーストガンダムでは出てこなかった、ガンダムのキーワードの1つです。
 パッと思い浮かぶのは『ガンダムW』の完全平和主義でしょうか。それ以降も、直近の『ガンダム00』における「戦争根絶」など、戦いそのものを無くしていこうとする意志はガンダムに頻出していました。とはいえこれも、W以前にまったく例がないかというとそうでもなく、前回もさかんに名前を出したこの人にも、実は似通った発言があったりします。
 最終決戦前の演説にて、シャア・アズナブルは以下のように言っているのです。


「ここに至って私は、人類が今後、絶対に戦争を繰り返さないようにすべきだと確信したのである! それがアクシズを地球に落とす作戦の真の目的である! これによって地球圏の戦争の源である、地球に居続ける人々を粛清する!」


 ……と、このように、「戦争をしない世界」を求めてアクションする、というテーマの遍歴を探ると、意外に歴史が古かったりするわけです。
 しかも、シャア・アズナブルからソレスタルビーイングに至るまで、「反戦運動」なんて生易しいものではない、「戦争をなくすための戦争」という過激なアクションに帰結している辺りが、ガンダムの特異なところでもあります。
 そうした「戦争のない世界」を巡るイゼルカントの思惑は、キオ編以降に大きく展開されていく事になります。今回はとりあえず、さわりの部分を押さえておけば良いでしょう。


 と同時に、目指しているのがそういう世界である以上、現時点で戦闘能力にのみ特化していると見られるXラウンダーが、イゼルカントの理想にそぐわない存在であるという事も分かりやすい事だと思います。
 しかしながら、パイロットのXラウンダー能力を引き出すヘルメット「ミューセル」や、今回登場するXラウンダー部隊、そしてXラウンダー能力に秀でたゼハートを司令官に抜擢した事も含め、この戦いにXラウンダーを積極投入するという点では、ヴェイガンのトップであるイゼルカントには躊躇いはないようです。
 この辺りの本意を、今後物語を追いながらどこまで追って行けるか……折を見て、またコメントしていきたいと思います。
 さて、そのXラウンダー部隊が鳴り物入りで登場してくるわけなのですが。



 出撃。



 そしてポーズ。
 これによって連邦軍側が苦戦を強いられる、かと思いきや。ここでガンダム史上、非常に珍しい出来事が起こります。
 そんなわけで、今度は連邦側に視線を向けてみましょう。



      ▽連邦軍の実力


 ビッグリングにて戦況を見守っていたフリットとアルグレアスは、損害率の上昇を見て敵Xラウンダー部隊の出撃を察知します。しかし、彼らはまったく慌てません。



「アスノ司令、始めましょう」
「ああ」


 そして味方機や部隊に次々と指示を出しますと、あれよあれよという間にXラウンダー部隊は押し返され、



 抑え込まれてしまいました。



「この程度は想定範囲内だ」
 平然と言い放つフリット


 その後、マジシャンズエイトとアセム、ウルフが接敵、交戦します。Xラウンダー相手に、ウルフ、アセムは苦戦を強いられるのですが、



 圧倒されるアセム


 しかしこれも、フリットたちの指示によってフォローが続々現れ、押し返されます。結局鳴り物入りで現れたマジシャンズエイトは撤退を余儀なくされるのでした。



「信じられん、マジシャンズ・エイトが完全に封じ込められている。敵の司令官は相当の切れ者か……」


 思わずメデルもこんな風にこぼす次第でした。


 この展開は、ガンダムAGEの特徴、そして独創性が見られるシーンとして重要です。特に富野監督の手になるガンダムにおいて、地球連邦軍というのはいわゆる官僚的な、巨大組織ゆえの悪習が強く、有事の際やイレギュラーな出来事への対応で後手に回る事が非常に多いように描かれてきました。『Zガンダム』ではティターンズの傘下に入ってしまったり、『ガンダムZZ』でハマーンコロニー落としに何も動きを見せなかったり、『F91』でクロスボーンバンガードの決起に対抗しようとしてかえって民間人を巻き込んでしまったり。『Vガンダム』でも、ザンスカール帝国に対してもまともな抗戦がほとんどできない状態でした。
 富野監督の世代にとって、おそらく体制側に対してどうしても不信感が強いのだろうと思いますが(宮崎駿などにも同種の傾向を感じます)、国家規模の軍や政府などの組織力というものを基本的にあまり信じていないという事だと思います。


 実は、初代ガンダムでは、オデッサ作戦で(ホワイトベース隊と一部後方支援を除き)戦車や航空機など既存兵器だけでジオン軍に勝利したり、ジオンのジャブロー降下作戦でも敵の戦力を聞いて即座にその狙いを看破したり、地球連邦軍自体やそのトップが決して無能力なわけではないのですが。しかし、やはりその描き方を見ていると、ハマーンやシャアが言う所の「俗物」的な描き方をどうしてもしてしまう側面があるように思えます。
 そしてこうした側面は、OVAなどの宇宙世紀外伝や、G以降の非宇宙世紀ガンダムでも、基本的には踏襲されていたと言って良いでしょう。


 そのような中で、AGEのこの話における展開は異例です。
 この第22話は、ガンダム史上、主人公の属する体制側組織が最も強く、肯定的に描かれたシーンなのです(笑)。
 第2話の解説でも書きましたが、ガンダムAGEは「組織がきちんと機能する」ところが描かれるという、シリーズ史上珍しい特徴があるように思います。なんでもない事のようですが、富野ガンダムで強調されてきた「組織への不信」に対して、批評的に振り返る画期にも出来る特徴であり、筆者はこの部分を非常に高く評価しています。なんとなれば、「その方がガンダムっぽいから」という理由で「腐敗した連邦軍」イメージを再生産し続ける、といった側面もあったわけですが、今の時代にそうした描写を続ける事だけが本当に有効なのか、問い直す価値はあるはずだからです。


 と同時に、人に使われる側から人を使う側へ、恐らく初めて昇り詰めたガンダム主人公であるフリット・アスノの面目躍如たるシーンでもあります。
 この回に示されたフリットの指揮能力も、決して軽く評価するべきではありません。先のメデル・ザントのセリフに続いてゼハートも言っていますが、



フリット・アスノ連邦軍司令官にして優れた技術者でもある。そして、あのガンダムを造った男……」


 この時点でフリットは(恐るべきことに)、一流のエンジニアであり、一流の指揮官であり、そしてこの後示されるように一流のパイロットでもあるという、とんでもない完璧超人ぶりを発揮しているのでした。アルグレアスの有能ぶり(また、のちにキオ編でディーヴァ艦長になる女性の成長ぶりも)を見る限り、人材抜擢や育成の能力もあるようです。
 個別の能力で上回る事はあるでしょうが、歴代ガンダムでこれほどオールマイティに能力を備えた人物というのは存在しません。いや本当に。スーパーコーディネイターキラ・ヤマト君だってフリットほどの部隊指揮・組織統率力を発揮する機会はありませんでしたし。
 かろうじて、トレーズ・クシュリナーダ閣下なら比肩できるかも知れませんが……。


 正直、チート級の能力を持ったキャラであり、「作者の自己満足だろう」的な批判を浴びかねないくらいの天才キャラなのですが、その人物が同時に「ヴェイガンに対して超強硬なタカ派である」という強烈な短所と合わさる事で、その絶大な長所と釣り合ってバランスがとれてしまっているという、フリット・アスノという人物造形の面白さがこの辺にあったりするわけです(笑)。


 以降、キオ編にて老齢になってもなお、フリットの完璧超人ぶりは笑うしかないレベルで、常識はずれのハイスペックぶりを披露してくれますので、その辺も見どころにしていくと良いと思いますw



      ▽二世代対決


 そういえば戦端が開かれる前、フリットとアルグレアスの間にこんな会話がかわされました。



「こういうときこそ、戦術家としての腕の見せ所だといえます!」
「アルグレアス、これはゲームではないぞ?」
「ええ!だからこそ燃えるんですよ!」



 そしてこの表情である。


 いつも引き締まった表情でいるフリットにしては、珍しい表情の変化です。
 このシーン、何気ないほのぼのシーンのように見えます。しかし、何気ないように見えるシーンほど、気を付けなければいけないのが『ガンダムAGE』の脚本。ここにも、よくよく見てみると思いがけないトゲが隠されているように見えます。
 アルグレアスのセリフ、どこかで聞いたような気がしませんか?


「命のやり取りなんだ!負ければ死ぬんだぞ!!」



「知ってるよぉ、だから戦いは楽しいんじゃない!」


 ……そう、デシルがフリットに言ったセリフに、極めて近いのです。
 これはさすがのフリットも表情を歪めるわけです。


 ここでなぜ、デシルのこのセリフが繰り返されたのか、その読解上の意味は私も明確に把握できてはいません。むしろ色々意見を聞いてみたいところだったりします。
 偶然という事も有り得ますが、フリットが再びデシルと刃を交える回の冒頭である事を思うと、やはり何らかの意図を探ってみたくなるところ。


 個人的に気になるのは、上記のようなアルグレアスのセリフに対して、フリットは特に「命はおもちゃじゃないんだぞ」的な事を何も言わない事でしょうかね。フリットにとって重みのある発言であってみれば、軽く嗜めるくらいの事はしても良いように思えますが、彼は顔をしかめただけで、特に何も言ってはいません。
 一応、以前書いた第14話の解釈を補強する材料なのかな、とも思わなくはないですが……。今のところは、何とも言えません。お気づきの点がありましたら、コメント欄などで教えてください。



 さて。そんな会話が呼び水になったように、この回フリットとデシルが再び交戦することになります。
 マジシャンズエイトの撤退を見たゼハートが出撃を申し出、それにデシルも同行。



 さらに強力なXラウンダーの登場に、ウルフ機は事実上の小破にまで追い込まれます。
 ちなみに今回、ウルフとアセムの師弟はXラウンダーを相手に一貫して苦戦を強いられています。そこで救いに現れたのが、



 親父登場。子供のケンカに親が出る状態(違います
 ちなみにこのフリットパイロットスーツですが、見覚えがあるという方もいらっしゃるんじゃないでしょうかね。



 初代ガンダム地球連邦軍のスーツに配色が似ています。スレッガーさんとかの。
 つまりアセム編においても、やはりフリットは「ファーストガンダム世代を象徴するキャラ」として描こうという意思ではないかと見られるということです。


 そして、持ち前のXラウンダー能力でガレット兄弟に一矢報い、そこから事実上の一騎打ち状態に。



 因縁の対決。
 しかしここでも、相手がデシルだと察したフリットは、そこまで感情的になっているように見えません。「つぐなってもらうぞ!」といった発言はしていますし、ユリンの事を回想もしているのですが、たとえば「なぜララァを戦いに巻き込んだ!? ララァは戦いをする人ではなかった!」的な事をセリフで詰め寄ったりはしませんし、またガンダム00ファーストシーズンの終盤で、サーシェスと対決したときのロックオン兄みたいな取り乱し方もしていません。
 こういった、感情的な高ぶりはドラマとしては見栄えがよく、印象にも残りやすいので、AGEのような抑制された演技は視聴者にとって食い足りない部分もあるのかなという気もします。
 しかしここでは、フリットがデシルへの恨みを単に爆発させたのでは、彼の「地球連邦軍司令」という立ち場の意味が軽くなってしまう部分もあり、こうした抑制が、大人になり立場と役職を得たフリット・アスノという人物の描写にもなっている事には注意すべきです。
 戦闘の後、アセムに「これからはもっと戦況を見るんだ」と言っているように、基本的にフリットは、私情より戦況を優先できる冷静さを持った人物なのですね。これはアセム編以降、一貫したフリットの姿勢で、この冷静さを失うのはキオ編になってから、たった一回だけです。



 ちなみに、一方のデシルさんですが。



「放せぇっ!俺は勝てるぅ!このままやらせろ!ゼハートぉぉっ!」
 ……ああ、うん。この人はデシルさんだ、あの頃のデシルさんのままだ……(遠い目



 さて、一方でアセムとゼハートも激突しており、ここは完全に二世代対決の様相をていしていました。
 アセム側で交わされていたのは、「戦う理由」についての会話です。



「お前には理解できないだろうな。父に追いつくために、自分のために戦っているお前などに!」
「違う! 自分のためなんかじゃない! 俺はヴェイガンからみんなを、地球を守るために戦っているんだっ!」



「私はヴェイガンに生まれたから戦っているんじゃない。私にはあるのだ、命をかけてもやり遂げたいことが!」


 このやり取りも、歴代ガンダムが取り組んできた重要テーマに則して語られています。自分のために戦っているだけだとアセムを追及し、自身には命を賭してやり遂げたい事があるのだと言い放つゼハート。
 思い出すのは、たとえばこんな応酬です。



「私には戦わねばならぬ大義がある。お前こそ正義など見えないのに何故戦う?」
「お前がガンダムに乗っているのは状況にすぎん!」


 こうした問答は、ガンダムシリーズの中で何度も反復されてきました。
 ガンダムが、シリーズ全体として取り組んできた問題というのはいくつかあると思いますが……前回詳述した「ニュータイプ(人類の進化)問題」のほかに、「環境・人口問題」、「組織の腐敗と官僚主義の問題」、「機械とテクノロジーの使い方の問題」などがあったわけですが、この回、アセムとゼハートの間で交わされているのもガンダム歴代の大きな問題のひとつ、「戦う理由、あるいは公と私の問題」です。
 本来、殺し合いをするのに、相手の戦う理由をいちいち問いただす必要はありません。引き金を引くだけなら、理由の大小など関係ないからです。それにも関わらず、ガンダムという作品ではそこを相手に問いただし、あるいは難詰するシーンが少なからず存在します。しかもそういう場合、個人的な理由で戦うのは劣っていて、大義を持って戦うのは優っている、という論法が往々にして繰り返されるのでした。



「しかし怨恨のみで戦いを支えるものに私は倒せん! 私は義によって立っているからな!!」


 しかし本来、特にZ以降のガンダムというのは、この「公の理由で戦うのは可で、私の理由で戦うのは不可」という単純な理屈に疑義を呈するための脚本が組まれていたわけなので、話はそう簡単ではありません。
 とりあえず今回、アセムは「俺だって自分のために戦ってるってわけじゃない」と口にしたわけなのですが。この辺りの話は、長くなるのでまた後日としましょう。


 ……さて、今回も長くなりましたが。
 やはりアセム編中盤以降、歴代ガンダムのテーマを巡る問題提起が相次ぎ、解説記事の内容も俄然忙しくなってきた感があります。
 飛ばし過ぎて、バテて中断してしまわないように、焦らずのんびりと拾っていきたいと思いますので、引き続きお付き合いのほどよろしくお願いします。



※この記事は、MAZ@BLOGさんの「機動戦士ガンダムAGE台詞集」を使用しています。


『機動戦士ガンダムAGE』各話解説目次