はてしない物語


はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)

はてしない物語 (エンデの傑作ファンタジー)


 エンデ作品、とりあえずこれは読んでおこうというライン。
 モモに続いてだったので岩波少年文庫版で読んだんですけど、さすがにこれはちゃんと単行本版を読むべきだったかなと、思わないでもなかった。メタな仕掛けがあるというおぼろげな前評判は耳にしてたんですが、なるほどこうか、という。
 ともあれ、この本に関してはある意味ミステリ小説以上に、ネタバレせずには感想が述べられない感じなので、以下ネタバレ注意です。おかげでTwitterでもあんまり感想述べられませんでしたのでな……。


 岩波少年文庫版が上下巻構成だったことで、私の中でこの作品の印象も前半と後半でかなり分れた印象を持った感じがあります。
 本書の前半、バスチアンがファンタージェンに入るまでは、それはもう野心的なメタフィクションという感じですよね。純粋に読んでいてドキドキしました。この前半部分を、バスチアンが読んでいるのと同じ体裁の、同じデザインの本で読んでいたら、それは無二の読書体験になったろうなと、そこはちょっと惜しい事をしたかもと思わずにいられなかったですね、さすがに。
 それも、単に仕掛けを施してあるという小手先のことだけじゃなくて、純粋に作者の「読書という体験」に対する掴み方、描き方が丁寧なんですよ。そこがこの作品のメタな仕掛けを見事に支えていると思いました。
 たとえば、バスチアンが読み進めている物語が展開されるのですが、たびたび中断されて、それを読んでいるバスチアンのリアクション、独り言とか、あと本の内容に触発されてバスチアン自身の過去が回想されてりとか、そういうのが挿入されていくんですけど、そこが読書という体験の臨場感をすごく出していると感じました。そうなんですよね、読者というのは本に書かれている情報を単にストレートにインプットしているわけじゃなくて、自分自身の過去の連想とか、たまに気が散って周囲に視線をさ迷わせたりとか、複線的に意識をあちこちに飛ばしながら本を読んでいるものなんですよ。本書前半のバスチアンの描き方は、正にそういう「体験としての読書」をすごく大事に描いていて、だからこそ「物語が読者を取り込んでいく」というメタな仕掛けに説得力が出るんですね。そこを丁寧にやったのは、さすがだなぁという感じでした。


 で、そういうメタな仕掛けをやって、バスチアンがファンタージエンに入り込んだことで、今度はもっと直接的に読者、読んでいる私に対してアプローチしてくるのかなと思いながら下巻に入ったんですけど、意外にもそうでもなかったんですよね。バスチアンが、先へ進むごとに記憶を失っていくことで、色の砂漠ではあった「読者に対して働きかけていく」みたいな仕掛けをする前提もなくなって、純粋にバスチアンの冒険物語になっていく。そこが意外でもあり、ちょっと残念に思った部分もありますが……でも、結果的にはその方が良かったのかなぁ、とも。統一感は薄れていると思うのですが、なんというか、1つの仕掛けでまとめた話に納まるより、より広がりを持った作品になった感じがしました。


 で、後半ですけど、とにかくアトレーユですよね。彼があまりにも素晴らしくて、もう。とにもかくにも、彼の一挙手一投足にドキドキさせられてた感じでした。
 バスチアンに対する篤い友情ももちろんなんですけど、能力もとにかく優秀で。
 たとえば、目のある手攻略戦で彼はバスチアンに陽動を頼まれるわけですけど、あの状況、「陽動のために暴れなければならないが、下手に暴れれば抵抗したと見做されて人質を失ってしまう」状態なわけですよ。で、そこでアトレーユが咄嗟にとる手が「我こそバスチアンであり、降伏勧告にきた」と僭称する事だったわけです。バスチアンが交渉目的に来たのであればまだサイーデの提示した条件を呑む可能性があるので人質は傷つけられない、しかし偽バスチアンが居丈高に交渉を蹴りそうになることで暴れる(=陽動する)こともできる。あの状況に対する最適解なわけで。即座に最適解を実行するアトレーユ、強いだけじゃなくて賢い。
 そして、エルフェンバイン塔攻略のための軍勢を短期間で集める統率力も並大抵じゃないわけなので。アトレーユ、ほんと凄いヤツなのでした。


 後半のテーマは「汝のなるべきことをなせ」、自分が本当に望んでいることを見つけるのは大変だよという話。このテーマは、個人的にも共感するところがありました。自分で自分が望んでいることが分からないのか、というと案外分かるのに時間かかるんですよね。自分が心に欲したものをいろいろ自分自身にあてがってみて、その時の自分の心の動きを詳細にモニターして、そうやって少しずつ自分が本当は何が好きで何を望んでいるのかを探っていくという、これはもう一生かけてやる仕事だなと思っています。
 バスチアンがファンタージエンに入った当初、コンプレックスだった運動能力も外見も瞬く間に改善されてしまって、いくら何でも都合よくいきすぎるのではないか、物語として温くなるのではないかと思ったりもしたのですが、むしろ「そこまで超越的に願いが叶う状況におかれたとしてもなお、自分が何を望んでいるかを見つけ出すのは簡単なことではない」という、一段階上の問題を扱っていたのだなぁと。
 たとえば異世界にいきなり飛ばされたとして、そこで「魔王を倒す」みたいな分かりやすい目的が設定できるなら後は楽なんですけれども、「そもそも何を目的にするのか」を問われたら、これは大変ですよね。普通、そういうのは物語を始める前に作者が登場人物に与えてしまうのだけれど、本書ではその目的を探すという段階が話のテーマになっているわけでした。
 最終的にバスチアンが見つけた答えはああいうものでしたけど、本来その答えは、人の数だけあるのだと思う。そして、誰しもその目的を見つけるために、バスチアン並みの大冒険をする必要が本当はあるんですよね。それこそが、「はてしない物語」なのだろうなぁと。


 最後にもう一目、おさなごころの君に会いたいなと思ったけれど、そう思ってしまうこと自体がおそらくエンデの狙い通り。いやはや、噂に違わぬ充実した読書体験でありました。


 そんなところで。
 せっかくここまで踏み込んだのだから、ここからまた未読のファンタジーの大御所、指輪物語とかナルニア国物語とかに進めばいいんだろうなと思うのですが、ちょっと気分的に目先を変えたかったので、次はまた違う作品に取り掛かりました。それというのも……。