百鬼夜行絵巻の謎
- 作者: 小松和彦
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2008/12/16
- メディア: 新書
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小松先生、最近何やってるのかなぁと思ったら、「百鬼夜行絵巻」集めて分析してたらしい。
そんなわけで、全編カラーの新書。フルカラー製本で、中身はお化けばっかり(笑)。
一応知らない人のために解説しますと、小松和彦といえば『憑霊信仰論』で高知の山奥に残る陰陽道の影響濃い民間呪術「いざなぎ流」を紹介して一躍注目を浴び、「陰陽師ブーム」の火付け役になった学者さん。その後、日本の妖怪分野の研究・紹介者として盤石の地位を築いた、言わば平成の妖怪研究者のトップオブザトップです(笑)。
そんな彼の最新著作になるわけですが、中身はと言えば、今回小松氏の属する日本文化研究センターが新発見した絵巻も含め、今までに見つかった百鬼夜行絵巻を内容ごとに分類整理し、その系統や影響関係を探るという内容です。
まあ、言ってみれば「こっちの方がこっちより古いんじゃないか」というような、各絵巻の先後の検証が中心の地味な内容に過ぎません。伝奇的な内容で見ても、まあテキストクリティークの面で重要ではありますが、そんなに派手に興味を引かれるテーマではない。
……のですが、小松和彦が書くとそんなのでも面白く読めてしまうから困る(笑)。
なんだろうなぁ、学術の場で一番興奮する瞬間、「新発見資料だ!」という興奮と、そこから見えてくる展望を的確に文章化出来ているからなんでしょうね。
こうした一般向けの新書などで、学術的な内容を専門じゃない人にも分かりやすく説ける人はけっこういます。けど、その学問の場での自身の楽しみや興奮をも読者に分かりやすく提示して、一緒にワクワクさせてくれるものは案外少なかったりします。
小松氏は『憑霊信仰論』の頃から、「私」という一人称の元で、自身の発見にあたっての戸惑いや興奮なんかも伝えてくれるので、内容が難しくても面白く読めてしまうんですね。
無論それだけではなく、フルカラーで多くの百鬼夜行絵巻を見る事のできる、妖怪絵巻の鑑賞のための本としても非常に良い出来です。私も、一番有名な真珠庵本は一通り見た事があったのですが、他の系統のもので初めて見たものが結構ありました。
百鬼夜行絵巻は、なんだかんだで楽しそうな妖怪行列という感じで、滑稽でかわいらしい感じなので眺めてるだけでも結構楽しいです。特に、枯れ木の妖怪が、オノ持った鬼に追っかけられて逃げていくシーンが大好き(笑)。
いやしかし、相変わらず小松氏は恐れを知らない素敵な研究者だと思います。以前の著作である『神隠し』を読んだ時も思いましたが、
民俗伝承から神隠しという事象に注目し体系的にまとめた仕事はない → じゃあやろう
百鬼夜行絵巻が数種類ある事は知られているが、それらすべての図版を集めて比較検討した仕事というのはまだない → じゃあやろう
この行動力がすごいなぁ。どちらも作業の煩瑣さは半端じゃないのですが、躊躇せずにガンガン仕事に取り掛かっていくんですよね、この人。いやもう、研究者の鑑だと思うよ。
近年の妖怪ブームの何割かは、確実に氏のこの行動力が支えていると思えます。ちょっと尊敬。
それにしても、日文研本「百鬼ノ図」の末尾にある黒雲と、その中に現れる黒い異形のシルエットは、あれは一体何なんでしょうね。
そこに至るまでに行列をして練り歩いている妖怪たちも「異形」ではあるのですが、それらとは全然対照的に描かれている不気味なシルエット。
http://kikyo.nichibun.ac.jp/emakimono/img/zoom/14_01_01.html
これの一番末尾に出てくるのがそれなんですが。
上で書いたように、基本的に百鬼夜行絵巻の妖怪たちはどこか滑稽さ、可愛らしさも持った造形で、今風に言えばキモカワイイ感じ(笑)に描かれています。しかしこの末尾のシルエットはそうではなく、何やら不穏な感じ。それに妖怪たちはこの黒雲を恐れいて逃げ惑っているようにも見えますし、また黒雲のシーンが始まった後、逃げ遅れた妖怪が雲に呑まれているように見えるシーンもあります。
妖怪たちとも違う別の何か、それも不穏な。
私が連想したのは、京極夏彦の『豆腐小僧双六道中』のラストシーンでした。ネタばれになりますが……。
- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2003/12/20
- メディア: 単行本
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話は、江戸時代の滑稽本などに多く登場した妖怪たちが楽しそうにワイワイ騒ぐというような筋なのですが、ラスト間際、「邪魅」が現れて事態が不穏になっていきます。ポケモンのキャラクターたちと変わらない、滑稽なキャラクターだった見越し入道やろくろ首などの妖怪たちが、人間の恐怖感や殺意・害意、怒りや憎悪などの黒い感情に影響されて、殺伐とした恐ろしい黒い存在に変異していく。
もともと妖怪たちは、そうした人間のネガティブな感情などから生まれてきた部分も多々あります。そこに立ち返っていこうとするんですね。
で、最後は主役の豆腐小僧が、それぞれの妖怪を名前で呼び、滑稽本での役回りを口上の形で呼びあげ、原初の恐怖感などの感情になりかけた妖怪を再度キャラクターとして定着させて場を収める、というのがクライマックスです。
要するに、中世までの怪異っていうのは、割と平気で人間を祟り殺したりするわけです。酒呑童子なんかも、人間をさらってきて包丁で料理して食っちゃうわけです。また江戸時代に入っても、四谷怪談みたいなおどろおどろしい怪異なんかでは惨い形で人間に害をなす形をとります。
一方で、滑稽本などに登場する妖怪たちはポケモンなんかと一緒で、憎めないかわいさみたいな形でキャラクター化されている。そして、百鬼夜行絵巻で行進している妖怪たちも、どちらかといえばこの後者の方に含まれると思います。
一言に妖怪と言っても、この前者と後者の間に断絶があるわけです。京極はその辺りを繰り返しインタビューなどでも強調していましたから、そうした意識の元にこうした話を書いたのでしょうが。
私が思い浮かべたのもその事で。この「百鬼ノ図」の最後の黒雲と異形のシルエットは、『豆腐小僧双六道中』で言うところの「邪魅」なんじゃないかな、という連想が働いたのでした。
まあもちろん、何の確証もないただの思いつきですけど。
いずれにせよ、あの黒雲とシルエット部分には異様な迫力があって、一体何を示しているのか非常に興味をそそられます。
今後、さらに研究される中で解き明かされる時が来るのかどうか。今から楽しみです。