東京の空間人類学


東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)

東京の空間人類学 (ちくま学芸文庫)


 東京をテーマにした読書の一環。これもたまたま見つけた本。
 現在の東京の街並みや土地利用が、実は江戸時代から地続きであるという内容でした。一見、明治時代と江戸時代の間には断絶があるように見えますが、つぶさに見ていくと完全に断絶しているわけではなく、むしろ現在の東京も、江戸時代の都市計画の巧みさから多大な恩恵を受けているのだ、という。


 この分析はなかなか興味深いものでした。
 そもそも、東京の山の手:下町という基本構造も頭に入ってなかったので、その辺の地形の解説がまず面白かったり。山の手というのは、東京に張り出してきている台地の上の部分なんですね。武蔵野台地など、いくつかの台地が伸びてきていて、江戸城もその武蔵野台地の先っぽの部分に建っている。
 で、江戸庶民が住んでいたのは台地の下である下町、一方武家などが住んでいたのが台地の上である山の手、と。大体大雑把にはそんな感じになってるらしいです。
 たとえば、江戸の五街道はすべて、これら台地の尾根部分を通っていると初めて知って、へぇーへぇーへぇー状態でした。


 そして、江戸から明治への切り替わりでキーになったのが、山の手の大名屋敷や武家屋敷だったという。
 つまり、こうした大名屋敷などは、江戸という都市の中であるにも関わらず広い庭などを有していて、敷地に余裕があったと。
 なので明治以降の近代化の際、そうした大名屋敷跡に大学や官公庁社など、近代国家に必要な建物を作る事が出来たので、ヨーロッパであったような都市の大改造を行う必要がなかった、と。道路や建物を幾何学的に、計画的に作り直すようなことをせず、江戸時代のランドスケープデザインのままで通せたという話。
 なるほど、という感じでした。


 また、西欧の都市は、町の真ん中に大きな塔などを持った教会などの建物があって、それを中心に作られていますが、東京の場合はそういった構成はしていなくて。
 では中心が無かったかというとそうでもなく。江戸時代の浮世絵や俯瞰図などを見ると、江戸城など西欧なら中心になっているだろう大きさの建物も小さく描かれていて、そのかわり遠景の富士山がものすごく大きく描かれている。実は富士山などの遠景に街の中心があって、大通りなどは遠景の富士が見えるように設計されていたというわけです。
 これも目から鱗が落ちるような興味深い話でした。実際、富士見って地名も東京のあちこちにありますし。今でも展望台的なところに行くと、必ず富士山の見える方向はアナウンスがありますしね(笑)。 
 日本庭園の借景の思想ともつながってるのかも知れませんが。
 どうあれ、江戸で暮らす人々にとって、富士山ってものすごく大事な存在だったんだなぁと。


江戸がかつては水の都で、川とのつながりが強い都市だったという話も面白く。



 ただ、そんな感じで前半部は非常に面白かったのですが、後半、特に最後の章に来て、話が少しピンとこなくなってしまいます。
 大正から昭和初期に生まれたモダニズム建築の素晴らしさを称揚する内容なのですが、前半部の丁寧な論述に比べて、著者の贔屓が少し露骨に出過ぎてしまっているというか。


 こういうのは、論述を慎重に追っていると結構わかるもので。たとえば震災復興時に建てられた同潤会などのアパート建築について著者が言及するのですが、前半と語りの順番が違っています。具体的な事例を出す前に、もう「この時期のアパート建築の設計は素晴らしい、周囲とも調和している、パリの街並みにも匹敵する見事なものだ」と、結論がしつこいぐらいに繰り返されます。そうして結論を並べて置いてから、ようやく具体的な事例の紹介に入るわけですが、これではそのまま「結論ありき」です。つまり、読者に対して「こういう視点で以下の事例を見てくださいよ」という先入見を与えるような順序になっているわけで、まぁ科学的・学問的な論述としては不正なわけです。
 そういうのが、かえって論旨を疑わしいものにしてしまっている。


 実際、この辺りになると著者の見解に対して、素直に頷けない部分が多くなってきたりするのですよね。著者は西欧の広場に該当するものは日本にはあまり広まらなかったけれども、代わりに橋詰(橋のたもと)などの空間が日本的な広場として機能していたと書きます。そして日本橋や江戸橋、数寄屋橋万世橋の橋詰などを紹介するのですが。
 また同様の理由で、明治後期から大正以降、交差点や辻なども交通広場として機能したと書くのですけれども。
 まぁ確かに江戸時代などは橋詰空間は広場的な機能を持ったろうとは思いますが……。少なくとも自動車が普及して後は、そういった場所に広場としてどれくらい機能していた/いるのかイマイチ想像がつかないというか。
 上の東京彷徨の記事で書いたように先日日本橋へも行きましたが、橋のたもとの部分で立ち止まってる人なんかいませんでしたし。普通に、公園とかの方が広場的な機能はしてるんじゃないかなと思ったり。


 もちろん、ここで著者が言う「広場」には複数の意味があって、つまり広場は街の他の場所に比べて視界が開けていますから、建築物なども広く全体像を見てもらいやすいわけで、そういった景観上の重要性という意味で主に言っているんだろうとは分かります。いわば、建築家にとっては晴れ舞台なんだろうな、とも。
 しかし、我々一般民にとって、広場の機能と言うのはより身近に「子供を遊ばせられる場所」「地域住民が集まって会話したり寛いだり、催し物が出来る場所」というのが第一義でしょう。この本の前半部に比べて、著者の視点が急にこういった庶民の視点から離れていくので、なんだか読んでいて置いてけぼりを食わされたような気分になる次第。
 その辺が、読んでいてもったいないと感じるところで。


 まぁそれはそれとして、上でちょっと触れた「同潤会アパート」はなんか凄く良さそうな場所に思えましたけれども。建物の外面は周囲の雰囲気に合わせつつ、トンネル状になった門をくぐるとそこが中庭になっていて、アパート住人が寛げるスペースになってるというんですね。植木がおかれたり、子供が遊んだりするセミ・プライベートスペースみたいになってるらしくて、そういうアパートは良いよなぁと思ったりします。
 たとえばその中庭で、休日に芝生部分に寝転がって本読んでて、通りかかったアパートの他の住人にちょっと挨拶したりとかさ。あと、たまにはアパート管理人主催で中庭でバーベキュー的な事をして、住民が出てきて軽く交流しながら食事したり。そういう中庭スペースのあるアパートなら、住人同士の交流とかも自然に出来そうな気がします。
 実際にそういう機能の仕方をしていたのかどうかは分かりませんが、少なくとも現在よくある、単に部屋が並んでるだけのアパートよりは近所付き合いが楽しくなりそうかなぁとか。



 そんな雑感を並べつつ。ともあれ、いろいろと今までになかった視座を私に与えてくれた、読み応えのある本でした。いろいろ書きましたが、この本の前半部は「東京」を考える上ではぜひ読んでおきたい内容かなと思います。


 そんな感じ。