魔法少女リリカルなのは The 2nd movie A’s

 弟に誘われたので劇場版なのはの2作目見てきたでござる。
 なんだかんだで1作目の出来、演出とテーマ性がなかなかだったので、まぁでは今回も見てみようかと。



 とりあえず、冒頭のバスの場面で、やっぱり日本のアニメ技術すげぇなぁと素朴に思ったり。ファンタジーな、あるいはSFな道具立てを描くときにアニメはやはり活き活きするものですが、一方で日常でよく見る風景を描いた時に、なまじ知ってるものであるだけに、表現の細やかさがかえって味わいやすくなる感じ。そういう意味で、暗い夜のバスの中振動で揺れてる吊り革、なんて何気ない物の描きこみを見て、やっぱりすげぇなぁと。



 で、その後、物語が動き出してからは映像をのんびり鑑賞する余裕を与えてもらえず(笑)。かなりのめり込まされた感じでした。
 いや、特に戦闘の描写がもうね、魔法少女というか完全に兵器のそれなので。バトルシーンの間中、頭の中で『コマンドー』の名セリフ、


「何が始まるんです?」
第三次世界大戦だ」


 がずっとループしてました(笑)。
 主人公組二人のパワーアップ後の変身シーンがわりと長めに描写されてましたが、腕のパーツが装着されたところで、固定用に直径3センチぐらいのビスがガチャンと差し込まれる描写があって、「おい今ビス入ったぞビス! 変身コスチュームっていうか装甲だろこれ!」みたいな(笑)。
 もうね、何この……何?w



 第一作の時は、やはり女の子向けの魔法少女もののフォーマットを序盤で踏襲していたために、それといかにもオトコノコ向けの兵器っぽいメカ描写との齟齬が気になったり、それを眉をひそめて指摘したりもしたわけですが、今回は最初っから吹っ切れてるので、まぁそういう物として、見ている間はそんなに気にせずにいられました。



 まあそういうわけで、戦闘シーンはわりと「ぽかーん」としながら見てたわけですが。
 一方でテーマ性の面では、やっぱりゼロ年代以降、特に2010年代以降の問題意識をキチンと押さえていて、今年リメイクする価値は確かにある作品だったのだろうなと納得できました。


 つまり、「闇の書」に後付けで付加され、書の持ち主を「どうあがいても破滅させてしまう」バグとしての「ナハト」は、『Fate/Zero』における聖杯、『まどか☆マギカ』における魔法少女の仕組みと同じ問題意識なわけですね。
 「与えられたルール・システムの中で全力を尽くそうとするんだけど、そもそもそのルールやシステムがダメになってて、参加者がどれほど最善を尽くしても悲劇しか生まない」、そういうシステムや仕組みをどうするかという物語になるわけです。
 これは言ってしまえば、持続可能性を失くした日本という国の財政、年金、若年雇用、ワーキングプア問題、人口構成、環境問題、エネルギー問題などの象徴なわけです。これらの問題はいずれも、特定の「悪者」を倒してそれでハッピーエンドに出来るほど簡単で単純ではない。
 そもそもシステムが狂ってるんだから、そのルールに則って構成員同士が潰しあいをしても、何の解決にもならない。闇の書の騎士たちがいくらルール通りにリンカーコアを集めようと、彼女たちの望みは叶わない。
 で、それじゃあどうするか、という話。


 かつて『まどか☆マギカ』を見た時、あの話を「キュゥべえをやっつけてハッピーエンドになる物語にしなかった」虚淵玄はさすがだな、と感心した事があります。キュゥべぇはシステムそのものです。システムは、少なくとも銃火器では殺せない(だから暁美ほむらが何度キュゥべえを殺そうと、復活してきて殺し切る事ができない。首相をいくら取り替えても日本という国の構造問題が解決しないのと一緒)。魔法少女のシステムそのものの問題点を改善したいなら、キュゥべえを痛めつけるよりも一段高い次元で問題の解決を図らねばならない。そこをきっちり描いてたのはさすがだと。
 そういう意味で言えば、この『リリカルなのは』では、システムの問題点(ナハト)を実際に攻撃して倒す話になってるわけなので、上の評価に照らせば一段評価が落ちる、という事になりそうにも思えるのですが……。


 しかし逆に、ヒントを提示しているようにも見えたのでした。
 つまり、無人格の「システム上の問題点」を「敵である」と示す事で、逆に対立していた者同士が和解して共闘することが出来るかもしれないじゃん、という、そういう可能性を見せてもらえたような気がしたのでした。
 国内がまとまらないのを、どこか特定の外国を仮想敵国に提示する事でまとめていくというのは安直で醜悪な方法だろうと思いますが、これが特定の人や国ではなく、特定の「システムの瑕疵」を仮想敵にする分には、あっても良いのかなと。
 まぁ、あんまり抽象的な話にし過ぎると、前世紀の「共産主義と資本主義の対立」みたいな面倒臭い話になってしまいますので、また難しいのかも知れませんが。
 あとそういう意味で、システムの中の個が「俺の意志と主張」を押し通してるだけでは問題解決には至れない(シグナムたちの様に、最善を尽くしても破滅に向かうしかない)わけなので、そういうの無しに「お話聞いて!」と言いながら食らいついていく、なのはさんのようなのは現代的な主人公なのかも知れないな、とも(笑)。こんな時代だからこそ、「問答無用!」ではなく、「話せばわかる」を。


 まあいずれにせよ、この『リリカルなのはA‘s』という作品が、上記の問題に真摯に向き合って、難しいテーマと正面から格闘して描かれた物語である事は確かだと思います。ゆえに、けっこう感動して見ました。



 あと、やっぱり登場人物たちがみんな強いよね。戦力という意味じゃなくて、精神力が強い。
 八神はやてさんが自力でまどろみから覚醒して現実を受け入れる事は、お話の流れとして予測してましたが、あそこまで積極的に自ら事態の打破に動くと思ってなかったので、この人は強い人やわ……と感心した次第。
 フェイトさんにしても、甘美な夢の誘惑を打ち破るというのはベタなシーンではありますが、構成がしっかりしてるのでやっぱり見てて感動しました。強いなぁ。
 やっぱり、この作品の登場人物たちが、「安定志向」がことごとく崩れ去った平成の乱世を生き延びられる、力強い意志力を持ったキャラクターたちだなと感じられるのは、見てて心強いです。
 萌え美少女アニメに何をしゃちほこばった事を、と思われるかも知れませんが(笑)、けどね、あれくらい力強く生きていかなあきまへんで、わてら。



 というわけで、何だかんだでけっこう没入して見終えたわけなのでした。良いオッサンがどうかと思いますが(笑)、でも面白かったもんはしょうがない。



 以下、細かい所。


 とりあえず映画始まる前、予告編でアウン・サン・スー・チーさんの半生を描いた映画の予告とか流れて噴きました。いや、どう考えても、なのは見に来る層が見に行く映画じゃないだろと(笑)。予告編もダラダラ流さずに、客層考えてやれば良いのにねぇ。


 あと、なのはさんの黒いリボン、すげー気になるんですけど、なんで三角形の形維持してるんですかあれ。形状記憶リボンですか? 劇中ずっと気にしてました(笑)。


 なのはとフェイトの二人が、変身後に強いのはまぁ良いとして、二人で竹刀か何かで特訓するシーンがちらっと出てくるんですが、その身のこなしを見て驚愕しました。生身でも超強そうなんですが、この小学三年生ども。少なくとも私はタイマンしたら負ける自信があるw



 あと、私はテレビ版はまったく見ておらず、従って映画で見た以上の情報がまったくない状況だったので。何となく「ユーノ君図書館勤務だったけど、左遷されたの?」って弟に聞いたら、すげー勢いで背後設定説明されました(笑)。「左遷じゃなくて大抜擢だったんだよ!」って力説されたw あー、そうか、うん、俺が悪かったw




 そんな感じで。
 何だかんだで面白い作品だと思いますので、チケット窓口で「なのは1枚」と言うのに抵抗が無い方は是非見てみてはいかがでせうか(笑)。