機動戦士ガンダム00F


機動戦士ガンダム00F 001 (角川コミックス・エース 97-13)

機動戦士ガンダム00F 001 (角川コミックス・エース 97-13)


 Gジェネ新作のための予習。4冊一気にまとめ買いして読みました。



 読み始める前の期待値はそんなに大きくなかったのですが、これが読んでみたら非常に面白かったのでした。
 序盤こそ、00ファーストシーズンの流れに沿った外伝という体裁で、話が原作エピソードに合わせて飛び飛びだったのがちょっと食い足りない感じでしたが、00ファーストシーズン終了後の時間軸に話が進んでから、俄然面白く。


 ツイッターにちらっと書きましたが。
 00ファーストシーズンの基本的なコンセプトというのは、「テレビで報道されてる戦争にガンダムを介入させたらどうなるか?」なんですよね。我々が日々テレビを見ていても、中東をはじめあちこちの紛争のニュースが途切れることなく流れてくる。我々は安全な日本でその報道を見て、我が身に危険が降りかかってくるわけではないし、その安全を振り払ってまで戦地に赴いたりするような行動を起こすほどでもないんだけど、しかしモヤモヤする。戦争のニュースに接するたびに、気持ちのどこかが傷つく。
 そうした気分に対して、そこにガンダムで介入できたら、という想像力が働いた結果がこの00です。
 報道で見た戦争が対象なので、介入の想像力は戦っているどちらかの陣営に加担するものではない。むしろ、あらゆる戦争を根絶できないかという、抽象的な目標が設定される。
 で、アニメ00のファーストシーズンでは、ソレスタルビーイングが世界中の陣営に圧倒的な力で喧嘩を売って、全陣営共通の敵となる事で世界を一つにまとめる事をめざし、そして成功させてしまうわけでした。
 しかし、その結果思っていた時代にならなくて挫折、再出発するというのがセカンドシーズン。



 で。
 この00Fという作品の主人公フォン・スパークは、そうしたソレスタルビーイングのやり方に対するアンチテーゼを提示しているのかな、という印象でした。
 彼は繰り返し、自分の目で見て考え、判断しろと発言します。
 つまり、報道を通してではなく(またヴェーダを通してでもなく)、自分自身の目で見るべきという意味です。その上で世界を変えろと。
 だからフォンはイオリア・シュヘンベルクの理念には賛同していなくて、しかし刹那が自分自身の出自に関わるアザディスタンの宗教的指導者を奪還する動きは支持する、と。


 この対比がなかなか面白くて、面白く読みました。結果的にこれが、00のセカンドシーズンのテーマを炙り出している構成にもなってるのかなと。
 私は00のセカンドシーズンは、ファーストシーズンに比べてテーマ的に後退しているような気がして、途中で見るのをやめていたのですが、この00Fのお蔭で違う視座から見直してみようかな、という気分を得る事ができました。セカンドシーズンのテーマは、ファーストシーズン的な戦争云々よりも、むしろ管理社会の問題なのかな、という予感が芽生えたので。
 まぁ、違うかも知れませけどw



 ぐだぐだ書きましたが、難しい事抜きにしても、フォン・スパークのキャラクターが強烈でなかなか楽しいです。超越的な管理システムを敷くヴェーダに対して、独力で挑んで互角にやり合う知力と実行力に最後まで驚かされ続け。
 小説『閃光のハサウェイ』で、ブライト・ノアが歴代ガンダムの乗り手について「ガンダムパイロットは皆、反骨精神を持っていた」といったセリフを言うシーンがあるのですが、反骨精神という意味で、フォン・スパークほどガンダムパイロットにふさわしい人物もいないな、と。


 いやいや、久しぶりに骨のある「ガンダム」を読ませてもらって、非常に感動した次第です。Gジェネも来るし、ちょっと久しぶりにガンダム熱が盛り上がっちゃうなー。こまったなー(棒読み