『東方鈴奈庵』完結


東方鈴奈庵 ~ Forbidden Scrollery. (7) (角川コミックス)

東方鈴奈庵 ~ Forbidden Scrollery. (7) (角川コミックス)


 最近あまり東方関連に時間を割けてませんが、この漫画は毎回買って読んでました。


 まぁ正直、絵柄の可愛さで買っていたのが動機の8割で(笑)。「これは私にとってのごちうさである」とかTwitterで言ってたわけですけれども。特に1巻のレミリア様可愛すぎた。
 とはいえ、読み進むうちに、この作品のテーマとか方向性が楽しくなってきた感じもありました。人間の里側にスポットが当たって、既存作品と違った角度から東方の世界観が眺められた楽しさだったわけですが。個人的に、なかなか興味深かったです。


 おそらく、こんな面倒臭い読解をするもの好きなんて私くらいだろうと思うので書きますが(笑)。かなり現実での世情を意識しての、時事的な問題意識と不可分に構想されたプロットだと思うのですよ。人間側から見た妖怪、人間側視点から人間の里を考えるって、要は武力で絶対敵わない相手に対する安全保障の話だからです。純粋な武力によるパワーバランスで見れば均衡するわけが無いのだけれど、特殊な依存関係により、安全保障が成り立っているわけですね。この辺、安全保障というととにかく武力を拮抗させるという発想しかない言説が溢れる昨今に対するカウンターに読めます。
 そして最終盤。小鈴が焦って道を踏み外しかけるわけですが、その経緯も非常に面白い経過だったと思います。
 小鈴が何を見誤ったかって、私見ではおそらく、「人間」と「妖怪」の二項対立で考え、「敵か味方か」の単純な二分法で理解しようとした結果、暴走したんですよね、あれ。そうした単純な二分法で考えようとすると、霊夢のような立場が理解できなくなってしまう。
 ところがラストで示されたのは、「博麗神社の宴会」という、敵と味方、人間と妖怪の境界の中間地帯のようなグレーゾーンがあったわけです。この中間地帯の存在が知らされることで、小鈴は安定するのでした。


 一般論として、敵と味方、向こうとこちらに分かれているように見える状況でも、必ず中間のグレーゾーンというのが存在するものです。そして大抵、そのグレーゾーンでこそ最も大事な事が起こっている。
 紛れもなく、東方という一連の作品はこのグレーゾーン、中間地帯、つまりは「境界」の魅力と重要性をこそ描き続けていたんですよね。主人公の博麗霊夢は現実と幻想郷の境界である博麗神社の主で、また作中最大の力を持つ妖怪、八雲紫も「境界を操る能力」を駆使する。
 人間の里にスポットを当てた『東方鈴奈庵』は、そういう「東方がずっと描いてきたこと」を改めて認識させてくれる、そんなプロットになっていたと思います。



 もう一つ。東方が描く関係性には必ず「タテマエ」があって、その「タテマエ」の重要性をこそ強調しているのだということ。
 阿求は、人間にとって妖怪は敵であるということが、そうであるべきであると選択された真実……要するにタテマエであるという事を述べています。分かりにくいけれど、これを見失ってはいけない。
 実のところ、東方はWIN版最初である『東方紅魔郷』から、一貫してこのタテマエの魅力と楽しさで世界観を保っているわけでした。
 レミリアは「咲夜は優秀な掃除係、おかげで首ひとつ落ちていないわ」とか、「こんなに月も紅いから、本気で殺すわよ」とか、物騒で剣呑な事を平気で言う。しかし実際は彼女たちは、そういう命がけの真剣勝負という「タテマエ」で、実際には死人が出ることのないごっこ遊び、「弾幕ごっこ」に興じているわけです。ごっこ遊びだから、咲夜のナイフも妖夢の真剣も、それで実際に相手が死んだりはしない。
 おまけに幻想郷住人たちは基本的に異常にノリが良いので(それはもう、射命丸のフリに対して即座に「ぎゃおー! たべちゃうぞー!」とか言ってくれるくらいにw)、物騒なノリを持ちかけても大体応じてくれる。プレイヤー(読者)は、ですから、東方キャラたちがどこまで本気で、どこまでごっこ遊びなのか、その真意が容易に推測できないように、そういう風に描かれています。
 そしてもちろん、この「タテマエ」としての真剣勝負と、実態としてのごっこ遊びの、その両面があるから東方の弾幕戦は魅力的なわけです。
 今回の『鈴奈庵』は、こうしたタテマエが人間の里を維持するための方便としても機能している事を暗に明かしています。だいぶ今までよりも踏み込んだ描かれ方をしていたかと思います。
 こうした、東方作品における「タテマエ」としての構図と、そこに隠れた実態とのバランスをどう見るか、そして彼女たちが何故「タテマエ」をこうも大事にしているのか、そこを考えるのが、『鈴奈庵』を、ひいては全体としての「東方」を読み解くポイントだと思うのですよね。
 東方のシューティング6ボスやEXボスたちは、本気で能力を行使すれば災害級の惨事を引き起こすことも可能な、強大な存在でしょう。その彼女たちが、あえて「ごっこ遊び」に興じているのは何故なのか。その辺のことを改めて感じ入った、本書の読後でありました。